2010.2.20
またぞろアナ出身か
 
   報道によると、今夏の参議院選候補者に民主党島根県連は岩田浩岳氏を、同富山県連は相本吉彦氏を擁立、党本部に公認要請するという。両氏はアナウンサー出身である。
 国政選挙となると、自民党も民主党もタレントやアナウンサーを出馬させる。知名度があり、それなりの発言能力と見栄えのよさがあるからだろう。
 現在、アナウンサー・タレント出身の国会議員が何人いるかは分からない(検索で調べたが調べ切れなかったし、衆議院480名、参議院242名の経歴を全部調べる時間はない)。ただ、世襲議員ほど多くはないにしても、昨今の状況からすれば、かなりの数に上るだろう。
 その中でも宮城県は異様である。国会議員11名のうち、アナウンサー出身者が実に5人もおり、すべて民主党議員だ。NHK記者が1人、フリーアナが1人、あとの3人は東北放送アナ(気象予報士を含む)である。
 大いに気になるのはこの人たちが当選後、どういう政治活動・議員活動をしているのか、少しも伝わってこないことだ。
 活動がいささかなりとも見えているのは、現民主党宮城県連代表で、衆議院安全保障委員会委員長の安住淳氏ぐらいである。民主党待望論の風に乗っただけの、単なる「票寄せパンダ」だったのか。
 宮城県ほどではないにせよ、民主党は先の衆議院選で「刺客」とばかり、女性アナやタレントを出馬させた。今度の参議院選でもその戦術をとることは、冒頭に触れたことでも分かる。
 もちろん、自民党も然りだ。アナウンサーやタレントを起用したのは、そもそも自民党である。
 しかし、この辺でアナやタレント候補者は止めにすべきではないか。理由は二つある。
 一つは、前述したように、彼らの活動が見えないことだ。議員としての実績があるのかどうか分からないから、評価のしようがない。それでも知名度で当選する。これでは有権者のための議員、国政を任せるに足る議員として、余りにもお粗末ではないか。
 もう一つは、アナウンサーやタレントの議員が多くなると、政治にとって重要な多方面からの考え・意見がなくなる懸念があることだ。金太郎飴のように同じ視点、同じ意見しか出ないのであれば、極論すれば同一の考えの議員は何人も要らない。
 殊に参議院は「良識の府」と言われる。アナ・タレント出身で務まるはずがないように思える。もちろん勉強して政治家を志した人は別だ。しかし、ほとんどの候補者はその直前までアナやタレントであり、勉強はしていない。
 議員の質を低下させているのは、候補者本人もそうだが、その人を候補者として擁立する政党の責任がはるかに大きい。
 「小沢グループ」は150人ほどになり、もはや一つの党である。しかし、数こそ多いが、質はどうなのか。
 問題は、そのことを指摘・追究する議員がいないことだ。
 
 2010.2.3
自民党が今なすべきこと
 
   国会開会以降、で自民党は鳩山首相と小沢幹事長の政治資金問題を徹底的に追及している。谷垣総裁は予算委員会、代表質問の二度にわたって、その先陣を切っている。
 「政治と金」の問題は絶えることがなく、これまでもロッキード問題、リクルート問題など、事件・疑惑発生の都度、国会は追及の場になってきた。「政治の浄化」の面もあるが、一面では「敵失を衝く絶好の機会」が訪れたことも大きいだろう。
 追及することは重要である。しかし問題を糾明し、民主党政権を貶めたからといって、それが今夏の参議院選で自民党が勝利することに直結するとは思えない。第一、7月までこの問題を引っ張れるはずがない。
 自民党がなすべきことは、改めて自民党独自の政策を国民に提示し、支持を得ることではないだろうか。
 先の衆議院選で民主党が掲げたマニフェストは「子ども手当て」「農家の戸別所得補償」「道路特定財源」に見られるように修正・変更を余儀なくされており、国民や農家、地方自治体から「公約と違う」と批判が高まっている。
 この「敵失」を見逃さず、参議院選の勝利、さらには衆議院の解散を求めて政権奪還を図るというなら、国民の支持・期待を得る政策提示すべきで、それによってこそ自民党支持率が高まることになる。
 このままいけば、国民は民主党も自民党も支持せず、参議院選は投票棄権になる気配が濃厚だ。
 自民党幹部がそのことに気づかないとしたら、それこそ「大衆感覚」が失われているとしか言いようがない。
 
 2009.8.31
コメは安すぎる
 
   今回の衆議院選挙は「政権選択」が大きな争点になったが、「産業振興策」も取り上げられた。小泉構造改革により、都市と地方の格差が生じたことから、ことさら地方選挙区の候補者は地元産業の振興を訴え、中でも農業を主軸にした第一次産業の活性化については、政党・候補者の区別なく有権者に政策をアピールした。
 それらの演説を聴いて感じるのは、農家に対する補償制度に力点がおかれていることである。自民党候補者は「民主党がマニフェストに示す農産物の輸入自由化は農家のためにならない。断固反対する」と主張。対する民主党候補者は「戸別補償制度で農家・農業を守る」と呼びかけた。
 しかし、冷静に考えると、農家・農業が直面している問題に真剣に向き合った政策を提示しているとは思えない。自民党も民主党も言っている内容は「対症療法」でしかないのだ。
 農家、特にコメの生産者が今最も望んでいることは、コメの価格が安すぎる、コメを作って生活が成り立つよう米価を上げてほしいということに尽きている。
 一例を挙げれば、宮城県産の「ひとめぼれ」の生産者米価は1俵(60キログラム)1万4−5千円で、市場販売価格は1万8−9千円である。では、これで農家が食べていけるのかというと、人件費を含めた総経費の方が上回るか、せいぜいトントンにしかならないという。一般に経済活動における価格というのは、経費+適正利潤で設定される。これは農業でもメーカーしても共通している。
 生産しても利益が出ないのでは、生産意欲が湧かないし、労働者を維持・確保できないことになる。しかも国・政府は消費者のコメ離れが増加しているとして、20年以上前から減反政策を行なってきている。コメ作りをしたいという、専業・兼業農家としてコメ作りに命を賭けている農家の気持ちを損なう農政を長年やっているということだ。
 農家が後継者難だと言われて久しいが、現在の従事者や次世代の後継者にやる気を起こさせない政策を実行してきたのは、政府・農水省である。極論すれば、政府・農水省がこれまでやってきたことは、農道を造ったり、圃場整備をしたりなどの農業土木でしかない。それが全く無駄だとは言わないが、農政の本質は生産者意欲の向上助成と産業としての基礎的要件の改善にあることからすれば、主体に力を注がず、副次的な政策に終始してきたと言える。
 コメの価格に戻れば、大人1人が1回に食べるコメの量は1合ほどだという。約200−300グラムである。コンビニで売られている「サトウのご飯」がこの量になると思うが、200グラム入りは175円、大盛りの300グラムは250円である。もちろん、これらは加工されている分だけ値段は割り増しになる。先の1俵60キログラムで換算すると、わずか50ー75円でしかない。
 缶コーヒー・コーラ・清涼飲料水・インスタント食品など、どれと比べても主食のコメが安いなんて。どう考えても安すぎるのではないか。
 先に価格について触れたが、物の値段には「そのものの価値」があって然るべきである。何でもかんでも安ければよいというものではないはずだ。コメの価格を上げ、その価値を高めることは「もったいない」という意識をもたせることにもなる。余りにも安いから子供も大人も有り難みをもたず、コメやご飯を無駄にして平然としている。
 「今でもそうだし、これ以上コメの値段を上げれば、輸入米に太刀打ちできず、日本の農業は崩壊する」という論理がまかり通っている。果たしてそうだろうか。確かに日本のコメは輸入米と比べてはるかに高い。しかし、高いといっても、先述したように1食当たりの単価は子供の小遣い賃ほどもない。これまでが安すぎたのだ。しかも日本米は輸入米に比べて格段においしいし、安全な食品である。価値というのはそれではないか。
 繰り返すが、現在のコメの価格と減反政策は日本の農業と農家にとって諸悪の根源であり、百害あって一利もない。即刻見直すべきだ。
 今こそ日本の農家・農業を見直さなくてはならない時期であり、本当の農政のプロの登場が待たれているのではなかろうか。
 
 2009.4.15
石巻市民は「共産党市政」を支持するのか?
 
 

 市長選真っ只中の石巻市内に1枚のビラが配布されている。文面は以下の通りだ。

〈共産党による 共産党のための 共産党市政=亀山市政
中国、ロシア、ベトナムなどの急速な発展が示すよう 共産党主導の市政が現実となれば 石巻の発展も期待できます。
亀山ひろしさんをどうぞ応援してください。
私たちの石巻に 全国で初めての共産党主導の市長が誕生するまでもう少しです!
皆さんのお力で ぜひ共産党が躍進する石巻をつくりましょう!
亀山ひろしさんをよろしくお願いいたします。〉

 内容を素直に受け取れば、共産党が配布したものと思われるし、一方では「ほめ殺し戦術」かとも考えられる(但し、小誌が調べたところ、土井喜美夫陣営は関与していない)。
  ただ、中身は間違ってはいない。亀山紘氏が当選すれば、共産党よりの市政運営が行なわれる公算がある。
  亀山氏を支援しているのは、日本共産党東部地区委員会、衆議院選自民党候補者、自民・民主党の県議、土井喜美夫市長に対立する市議会野党会派議員19人、反土井市政の市役所OBなどで、政治理念・政治信条お構いなしの、まさに「野合の衆」だが、この中で「亀山氏と政策で一致した」として支援しているのが共産党である。共産党は組織体制が固まっており、選挙にも積極的に運動することからして、亀山氏にとっても頼りがいのある集団なことは間違いない。
  どの選挙でも共産党が訴えているのは「清潔・公正・市民にあたたかな政治」というもので、具体的な政策として必ず「生活弱者にやさしい福祉・医療・教育の充実」を掲げる。
  それはそれで結構なことだが、問題は「生活弱者を救済するためにどうするか」ということである。共産党は「公共事業などのまちづくりのための整備事業を削減し、その分の予算を生活弱者のための福祉・医療・教育に回せ」と主張する。
  この主張は耳ざわりが非常によい。しかし、現実問題として、生活弱者を救済するためには、企業・一般生活者がある程度豊かになっていなければ、できない。救済するための財源は企業・一般生活者が納める税金しかないからだ。
  ところが、現在の状況は深刻な不況のために企業・一般生活者が喘いでいる。生活弱者を支援するためには、まず企業・一般生活者を健全にする必要があるが、共産党はそのことには触れず(考えていないのか)、弱者支援を唱えている。
  亀山氏も「やさしい政治」を掲げていることから、当選すれば共産党に連動した市政運営をしていくことになりそうだ。
  亀山市長が誕生すれば、必ずや石巻市の財政は破綻するだろう。弱者に手厚い支援をするということは、それだけ社会保障分野の予算が増えることになり、現在の税収額からすれば起債という借金が増えることになる。同時に、これまで土井市政が苦労してきた83億円の借金の削減、まちづくりのための施策・整備事業も頓挫するだろう。
  「弱者にやさしい政治」は当然必要である。政治の根本と言ってもよい。しかし、「弱者優先」は往々にしてバラマキ型の行政になり兼ねない。そのことは歴史が証明している。
  財源が乏しい中で市民のための行政運営をしていくためには、村井知事が推進している「富県戦略」に代表されるような企業誘致や産業創出など、経済政策を最優先していく必要がある。
  土井市長はそれを少なくともやってきており、その結果も出てきている。
  共産党と連携する亀山氏が市長になったとき、企業誘致に応じる企業がどれだけあるだろうか。
  冒頭のビラには間違いがある。それは「中国、ロシア、ベトナムなどの急速な発展が示すよう、共産党主導の市政が現実となれば、石巻の発展も期待できます。」という文章だ。
  中国・ロシア・ベトナムが発展しているのは確かだが、それは共産主義だからではない。経済政策について資本主義経済を導入したからである。それまでの国営型では製品開発・市場開発ができないことから、資本主義経済に移行させ発展してきたのだ。
  社会保障についての共産党の考え方は支持されても、共産主義者の経済活動・経済政策は全く無視されているのが、世界の趨勢である。
  首長は保護士ではない。将来を見据えて施策を実行していく行政・経済実践者である。共産党が主導する亀山氏では石巻経済が良くなるとは思えない。

 
 2009.2.16
使い勝手が悪い「ゆうちょ銀行」
 
   郵政民営化に伴って設立された「ゆうちょ銀行」は、恐らく世界でも指折りの金融機関だろう。銀行再編でメガバンクが誕生したといっても、日本国内津々浦々に店舗を構え、莫大な資金量を誇る金融機関は「ゆうちょ銀行」以外にない。
  しかし、その規模に反して「ゆうちょ銀行」は使い勝手が悪い。典型的なのは振込のシステムである。
  ゆうちょ銀行口座間での振替(振込)は、これまで郵便局で開設していた記号・口座番号がそのまま使用できる。
  しかし、他の金融機関から「ゆうちょ銀行」への口座振込は、新たに振込用の店名・預金種目・口座番号が必要になるという。つまり、現在のゆうちょ銀行の口座番号では振込ができないということだ。もちろん、「ゆうちょ銀行」の口座から他の金融機関への振込も新たな口座番号がないとできない。
  一つの口座に二つの番号が組み込まれるわけで、利用者は振り込んでくれる相手に、このことを説明しなくてはならず、何とも煩わしい。
  また、「ゆうちょ銀行」から他の金融機関への振込は口座からのみ可能で、現金による振込は取り扱っていない。これまた不便である。
  それでいて「ゆうちょ銀行」のパンフレットには「ゆうちょ銀行・郵便局と、全国銀行データ通信システムに接続している約1500行の金融機関との間で振込できるサービスです」と、如何にも便利なサービスのように記している。
  今どき、こんな使い勝手が悪いシステムはないのではないか。これまでこの点について報じられたことはないようだ。利用者がどのように感じているか、知りたいものだ。
 
2009.1.12
宗教法人の優遇措置はおかしい
 
   昨年来の金融不況により、世界各国の政府・企業・人々が喘ぎ苦しんでいる。その元凶・発端はサブプライムローンだが、この「金融工学」から生み出された異様な商品を誰がつくり、誰が活用したのか。その者たちに何らお咎めがないというのはおかしいように思われる。これは一種の詐欺、犯罪ではなかろうか。
  こうした受難に遭遇している企業・人々が多い中にあって、我れ関せずのような組織が少なくとも一つある。宗教法人がそれだ。
  宗教法人の認可は都道府県だが、一度宗教法人と認証されれば、その後は所管庁のチェックがないという。また、どういう理由からなのか、宗教法人が寄付などで集めた収益には課税されないし、そのほかにも税制上の優遇措置が与えられるという。
  オウム真理教を持ち出すまでもなく、宗教法人にはいかがわしい団体が少なからずあったし、現に今でもあるだろう。非課税特権で得た利益をどんな目的に使っているかわからないのだ。創価学会は一面では「池田大作教」であり、公明党を傘下に収める「政治団体」のように思える。それでも非課税が許されるのでは間尺に合わないように思われる。
  どう考えてもおかしいし、不公平なのではないか。納税は国民・企業の義務である。宗教法人といえども、その実態は民間企業と同じようなものである。憲法に従わなくていいということはあり得ない。
  なぜ優遇措置がなされているのか、理由がわからない。国会で論議されたとは聞いたことがないし、政治家や関係省庁はこの問題についてどう考えているのだろうか。
  聞けば、アメリカやドイツでは宗教活動に実質的に関連したものだけに限り、優遇措置を適用すると定めており、優遇する際にはその団体が政治団体・営利団体になっていないかどうか審査するという。常識であろう。
  消費税を上げる論議が起こっているが、それ以前に「税の公平」というやるべきことがあるのではないか。
 
 2008.12.08
誰も喜ばない「地上デジタル放送」
 
   多くの人がご覧になっているだろう、テレビで地上デジタル放送の案内が流れている。
  地上デジタル放送はすでに2005年12月からNHKと民間放送で開始され(現在はアナログ放送と並行)、2011年8月からは完全にデジタル放送に移行する。
  デジタル放送はアナログ放送に比べ、同じ幅の周波数帯域でより多くの情報を送れるのが最大の特徴だが、それ以外に高画質・高音質による迫力ある映像、ニュースや気象情報・地域情報などきめ細かなデータ放送ができる、テレビ局と視聴者との間で双方向の情報のやり取りができる、携帯型端末を利用した移動体向けの放送ができる――というメリットがあるという。
  何やらいいことづくめのようだが、実はそうではない。視聴者、テレビ局双方に大きな負担になるからだ。
  視聴者について言えば、現在のアナログ専用テレビではデジタル放送が見られなくなる。粗大ゴミと化してしまうのだ。デジタル放送を見るためにはデジタル対応のテレビを新たに買うか、デジタル用のチューナー(場合によっては専用アンテナが必要になる)を取り付ける必要がある。
  デジタル対応テレビで比較的よく売れていると言われる32インチ型は27−28万円。視聴者にとって安い買い物ではない。チューナーにしても5−6万円する。今やアナログ型テレビは大型テレビでも10万円以下、小型なら3万円くらいで買える。本体より付属機器の方が高いのでは割に合わないだろう。
  一方、テレビ局の負担もバカにならない。電波を送り出す送信機の変換、マスター設備やアンテナ、中継送信局など、一切の設備を切り換えなくてはならず、これらの設備投資には少なくとも40−50億円かかると見込まれている。
  こうした多大な出費に中央キー局はもちろん、経営基盤が弱い地方局では頭を痛めている。頼みの綱は広告収入ということになるが、不況下の現在、どの会社も広告費の削減傾向にある。ましてや地方ではCMを流せる企業は数えるほどしかない。設備投資がテレビ局の屋台骨を揺るがしかねない状況にある。
  ここ数年来、テレビ局に対する視聴者の眼は厳しいものがある。バラエティーやクイズ番組に各局が傾斜していることによる。いくら高性能のテレビを備えても、肝心の番組がお粗末ではなんにもならない。そのためテレビを見ない人がジワジワと増えている。
  視聴者とテレビ局双方に大きな負担を強いるデジタル放送化は、「テレビは本当に必要か」という素朴な疑問を投じたと言えるのではないか。
 
 2008.11.01
弁護士制度について
 
   あまり知られていないと思うが、平成16年4月から弁護士の報酬基準が改められている。
  それまでは各弁護士会で基準があり、どの弁護士に依頼しても一律の費用(報酬)ということになっていた。それが16年4月からは弁護士が各自で報酬基準を定めてよいことになった。弁護士料の高い弁護士と安い弁護士がいるということである。
  敢えて言うまでもなく、私たちが弁護士に相談・依頼するときは困ったことがあり、自分で解決できないことが起きたからである。金銭絡みのケースが多いと思われる。
  その際、報酬の安い弁護士に頼みたいのは当然だが、安ければよいというものでなく、依頼する案件について精通しているかどうかが重要になる。
  ところが、不思議なことに、各弁護士の専門分野や人柄といった重要な選択条件を、依頼者は知る術(すべ)がない。仙台弁護士会では宮城県内の全弁護士291名を検索できるホームページを開設しているが、取り扱い業務(つまりは専門分野ということだろう)を記載している弁護士はほとんどいない。それだけでなく顔写真すら掲載していない弁護士が大半なのだ。
  しかも、弁護士という職業はどういうわけか宣伝が禁じられている。私はこの分野について得意ですと、自己PRできない。せいぜい電話帳に登録することと、弁護士会の会員名簿記載されるだけである。
  言わば営業活動を全くしない「待ちの商売」に徹しているということだ。それでも弁護士業を廃業したということはあまり聞かないし、ビルに一室を構え、数人のスタッフを抱えていることからすれば、割のいい職業なのだろう。
  弁護士たちはそれでもいいかも知れないが、困るのは依頼者である。これではどういう弁護士なのか、誰を選んでいいのかわからない。弁護士一人一人に当たってみろということなのか。依頼者にすればそんな時間的余裕がなく、切羽詰った事態だからこそ、弁護士に頼むのだ。
  仙台弁護士会はじめ各弁護士会はしばしば「開かれた弁護士会」と提唱している。それならば、まず「顔の見える弁護士制度」にすべきではないか。報酬は自主的に決め、しかしその素顔は見えない、というのでは、頼む方は腰が引けてしまうだろう。
   
 2008.10.13
「富県戦略」を阻む融資制度のガン
 
   村井嘉浩・宮城県知事が掲げ実践している「富県戦略」を手短かに言うなら、@自動車産業や高度電子産業の企業・工場誘致を図り、県内企業をそれに連なるよう技術レベルを向上させ、県の産業構造をこれまでの一次産業主体から、二次産業・ものづくり主体へと転換していく、Aそれによって県内総生産額(現在約8兆円)を向こう10年間で10兆円にする−−ということである。
  幸い、東京エレクトロン、セントラル自動車の進出を皮切りに、その後も企業進出が続いており、「富県戦略」は幸先よいスタートを切っている。
  とはいえ、産業構造の転換と産業振興を図っていくためには、こうした県外企業の誘致だけでなく、県内企業の成長・育成が欠かせない。そして、そのために必要不可欠なのは企業への融資であろう。もちろん、県もそうしたことは熟知しており、企業向けの融資制度を設けて、活用を奨励している。
  しかし、現実として企業支援をどれだけ果たしているかというと、疑問も持たざるを得ない。
  県の融資制度には「創業支援資金」「中小企業支援資金」「新規事業支援資金」など各種あるが、これらの融資を受けるためには、金融機関へ申し込み→金融機関の審査→宮城県信用保証協会の審査→融資実行という手順を踏む。
  ところが、この金融機関の審査が曲者(くせもの)なのだ。企業側が必要書類を提示し、何とか融資してもらおうとしても、なかなか応じてくれない。というより「融資は無理」と言われるケースが結構多いのである。金融機関によって審査の辛い、甘いがあり、「特に七十七銀行は融資には冷たい」とは中小企業経営者が共通して述べるところだ。
  金融機関が独自に融資制度を設けて、それで融資の可否を判断するならわかる。しかし、県が活用してくれと奨励している県の融資制度について、金融機関が独自の判断で融資するかどうかを決める。そして結果的に多くは融資を受けられない。そのため「融資取り扱い機関となっているが、実態は取り扱わない機関であり、何の意味もない」と憤りの声は少なくない。
  これでは村井知事が推し進めようとする県内企業の成長・育成も画餅に過ぎないだろうし、知事の施策に身内の機関が逆らっているという矛盾した状態にあると言えるだろう。しかも問題なのは、こうした実情を県の担当部局が全く把握していないことだ。「融資の判断は金融機関に任せていますから」と言うのだ。
  「不景気の時こそベンチャービジネスのチャンスだ」とはよく言われる。だが現実に宮城県ではこれまでベンチャー企業が台頭してきたという話を聞いたことがない。理由は「技術があっても、その技術に対して融資してくれないからです」と新興企業経営者はぼやく。
  試みに、村井知事と県当局は中小企業経営者に融資についてのアンケート調査をしてみるべきだ。如何に融資制度が有名無実化しており、如何に銀行の姿勢が冷たいかが浮き彫りになるだろう。
   
 2008.10.06
ちっともわからない
 
 
  9月から10月にかけて国会議員の集会が頻繁に行なわれている。サマーパーティー、国政報告会、決起集会と呼称はまちまちだが、資金集めと投票のお願いなことは言うまでもない。
  参加して感じるのは、所属政党が如何に頼りになるかということと、敵の政党批判を繰り広げているだけだということだ。自民党議員は「民主党の公約は根拠となる財源をどうするのか、空手形だ」と言い放ち、民主党議員は「自民党政府に任せていたのでは国民の生活は維持できない」と熱唱する。続けて「わが党は国民の目線に立って地方経済を活性させ、暮らしを守ります」とアピールする。政党が政権を担うのだから、こう言わざるを得ないのだろうが、どうも釈然としない。
  というのは、当の議員が国会でどんな活動をしているのか、ちっともわからないからだ。大臣、副大臣になれば、報道されるからまあ何とか活動の一端はわかる。しかし、閣僚以外の議員が日頃、何をしているのか、どういう実績があるのかということは、全く知る術(すべ)がない。マスコミも報道してくれない。自民党議員ならどこの派閥に属しているかぐらいしかわからないし、民主党議員ともなると、何をしているのか、有権者はどれだけ知っているのだろう。
  本来なら、当の議員が自分の活動、実績を報告・アピールすべき場が国政報告会であり、集会のはずだが、活動していないからなのか、そうした発言を聞いた試しがない。
  これは現職議員だけではない。来たる選挙に立候補する新人候補者にしても、これまでの職業はわかるが、なぜ政治家を志すのか、議員になって個人として何をやりたいのか、聴衆がわかるように説明してくれない。単に「今の政治を変えなくてはならない」という類(たぐい)の弁を振るうだけだ。
  どの職業にしても、実績があってこそ支持・期待が集まる。新人ならその仕事に就くためにどういうことを学んできたかが問われる。だが、政治という職業はそれがない。なくても何故か当選できる。
  「政治不信」「政治家不信」とよく言われるが、不信をもたらしたのは、ほかでもない政治家である。それは自分たちが何もしてこなかったか、あるいはやってきたことを有権者に知らせてこなかったからではないか。
  多くの人々は自民党政治だろうと、民主党政治だろうと、それほど違いはないと踏んでいる。支持率が拮抗するのはそのためで、おかしな、不安がある政党なら支持しないことは明白である。
  であれば、候補者は政党を語るのではなく、自分をアピールすべきだ。「私はこれまでこういうことをやってきました」と言えない政治家に誰が票を投じるだろうか。「混沌とした時代」だからこそ「明快な政治家」が望まれているのではなかろうか。