浅野史郎研究
 
Special Topic 
 

2007.04.17 vol.15 今後の進路
 都知事選で大敗した浅野史郎氏は今後どうするのか。選択肢は政界への再挑戦をするのかどうかに絞られる。
  政界への道を断念した場合は、現在務めている慶応大学教授に戻ることになる。浅野氏は「未来構想ワークショップ」「政策協働論」の講義を受け持つほか、選択科目の「地方分権と福祉政策」「知事像の解剖ーー知事の権力と限界」の研究会担当教授を務めている。懸念されるのはこの選択科目で、「都知事選に敗れた人の講義で学生が果たして集まるかどうか」と囁かれているようで、受講者が少ないようだと「浅野教授」の真価が問われることになる。
  一方、浅野氏は都知事選前はコメンテーターとしてテレビに出演していたが、都知事選後はどこにも出ていない。自ら断ったというより、各テレビ局の方で「賞味期限が切れた」と判断したものだろう。
  となれば、浅野氏の今後の活動は大学教授と講演活動が主になるが、講演活動も「前宮城県知事」「宮城県社会福祉協議会会長」という肩書があったればこそ。前知事の肩書は風化し、県社協会長でも亡くなった今、どれだけ講演依頼があるか。
  いずれにしろ、浅野氏が慶応大学教授に専念すればするほど、「浅野史郎」という名は次第に忘れ去られることになりそうだ。
 浅野氏が政界復帰をめざしている場合はどうか。コースは二つある。
  一つは、民主党に入ることだ。この場合、今夏の参議院選に比例区から出馬する可能性があり、知名度のある浅野氏は必ずや当選するだろう。浅野氏としては衆議院選での当選が望ましいところだろうが、いつ衆議院選が行なわれるかはわからないし、浅野氏もすでに59歳だ。だとすれば、一旦参議院議員になり、その後衆議院選に鞍替えする考えがあっても不思議ではない。
  ただ、この場合、問題がないではない。小沢一郎代表との関係修復ができるかどうかだ。かつての宮城県知事選再選時、新進党党首だった小沢氏が「推薦したい」と申し出たとき、浅野氏が断ったことから、両氏の関係はよくない。民主入りとなれば、浅野氏は小沢氏に頭を下げる必要があるが、「他人に頭を下げたくない」浅野氏にそれができるかどうか。小沢氏も「情念のありすぎるタイプ」だけに、簡単に過去を清算できるかどうか。
 
  もう一つは、「新党結成」である。浅野氏の狙いは「自民党と民主党の勢力が拮抗したとき、自分がキャスティングボートを握って政権に加わる」ことだと見られている。かつての細川護煕氏の日本新党のパターンである。現に浅野氏は「地域創造ネット・ジャパン」を設立し、団塊世代を主軸にした活動を展開。「政治に積極的に参加して日本と地方を変えていく必要がある」とアピールしている。
  この持論からすれば、新たな政治グループを立ち上げ、来たる参議院選に打って出る可能性がないとは言えない。
  問題は都知事選で負けた浅野氏にどれだけ求心力があり、どれだけの人を参集できるかどうかだろう。
  いずれにしても「政治家・浅野」としての持ち時間は多くない。ここ一、二年が浅野氏にとって正念場なことは間違いない。
 

2007.04.11 vol.14 浅野氏の敗因
 石原慎太郎氏2,811,486票、浅野史郎氏1,693,323票。マスコミの予測では「ダブルスコアの可能性もある」と見られていたのが、111万票まで詰め寄ったのは、投票日の数日前の世論調査で「石原優勢」と報じられたことによるだろう。日本人が持っている「弱者を助けたい」という気持ちが、判官びいきや同情票となって浅野氏に寄せられたと思われる。
  ただ、そうだとしても石原氏は強かった。浅野氏はじめ13人の総得票数2,694,780票をしても、石原氏の得票を上回ることができなかったことが如実に証明している。都民は石原氏の実績・資質を評価したということだ。
  浅野氏の敗因はいろいろある。
  第一に、「政党支援は受けない」と言っていながら、実態は民主・社民両党の支援を受け、最後には政党が前面に出るようになったことだ。これにより市民参加型の「浅野選挙」への共鳴感・期待感がしぼみ、政党選挙と変わらないと有権者に印象づけてしまった。
  第二には、マニフェスト(公約)が付け焼き刃だったことだ。選挙戦中、浅野氏はマニフェストを何度か手直し、それが有権者に対して説得力を欠き、不安感を抱かせることになったとの指摘がなされた。だが、それよりも問題だったのは、マニフェスト自体が抽象的・机上論的だったことだろう。確かに、浅野氏は具体的な数値を示したマニフェストを打ち出した。しかし、その具体性・実現性となると綻びが目についた。福祉公約はその典型である。そのため「浅野氏は東京都のことをよく知っていないのではないか」との疑問がマスコミ関係者では囁かれていた。
  第三には、勝手連が思ったほど機能しなかったことだ。浅野氏を支持する勝手連の数は80にも上ったが、これらの組織は文字通り「勝手に浅野氏を支援した」だけで、本来あるべく勝手連同士の横の連携や、勝手連を軸にした都民への拡がりがほとんどなかった。
  第四は、余りにも「石原批判」に傾斜しすぎたことである。挑戦者であることからすれば、都知事への批判・追及は当然なされる。しかし、浅野陣営は勝手連を含めて、終始「石原批判」だけだった。そのため浅野氏の政策がほとんど都民に印象づけられなかった。新宿駅前で浅野氏と勝手連の演説を聴いていた中年女性は「石原さんの批判ばかりで、中身がない。浅野さんが何をやるのか、やってくれるのかを聴きたかったのに」と語っていたが、これが一般都民の率直な感想ではなかったか。
  最後は、浅野氏の選挙手法が「不真面目」だと受け止められたことだろう。浅野氏にしても勝手連にしても、この選挙をどこか「お祭り」のように捉えていたフシがある。石原氏をこきおろすアジ的な演説、選挙カーや個人演説会での浅野氏と勝手連との掛け合い漫才的なフリートーク。お祭りにも似た狂騒的な振る舞いは、本人たちはともかく周囲には「ひたむきさが欠けている」ようにしか映らなかったのではないか。
  どんな選挙でも、選挙には踏み外してならないやり方がある。何かといえば「真面目に、真剣に戦っている」という姿勢だ。それが共鳴・共感を与え、投票につながっていく。浅野氏の選挙にはその「ひたむきさ」「真剣さ」がなかった。
  そのことからすれば、今回の都知事選で浅野氏が落選したのも当然だと言えなくない。裏返せば、浅野氏のような選挙手法で当選するようでは「選挙とは何なのか」ということになろう。
  都民・有権者はやはり賢かったのである。
 

2007.04.05 vol.13 お任せ選挙
 昨年12月16日、浅野史郎氏はとある政治スクールの講師に招かれ講演を行なった。演題は「脱!お任せ民主主義」というもので、「本当の民主主義を実践していくためには、県民は県庁や議員・議会に任せているだけではだめだ。県民一人一人が県政に参加していく必要がある」と力説した。
  この発言からすると、今回の都知事選における浅野氏の選挙手法は矛盾しているように思える。何しろ浅野氏の選挙は以下に示すようなものだからだ。
@民主・社民両党の支援は受けるものの、表面には出ないでほしい(そ の後変更したようだが)。
A選挙カーやポスター貼りなどの一連の作業は民主党に頼んだ(これは 民主党関係者が述べている)。
B寄付をお願いします。
C勝手連をつくってください。
D一言マニフェストを募集しています。
E手作りポスターを描いてください。
F青いさざ波を広げましょう。

 悪口は言いたくないが、これでは何から何まで「お任せ」で、本人がやることは何もなく、ただ有権者に向かって発言する、つまり「自分は神輿(みこし)の上に乗ってればいい」というものではなかろうか。「お任せ選挙」以外の何ものでもないように思われる。
  浅野氏の選挙手法は「既定政党・団体支援型」ではなく、「市民参加型」というところに特徴があった。言葉を換えれば「お祭り型選挙」で、それまでの選挙は有権者は投票行動しかできなかったが、これを「有権者が選挙活動そのものに参加する、参加できる」ようにしたところが画期的だった。確かに、お祭りは観ているよりも参加した方がはるかに面白いものだ。連帯感も強まる。
  しかし、こうした「市民参加型選挙手法」は当の本人もそれなりに、いや参加者以上に汗をかかなくては共鳴・共感できないに違いない。周囲の人たちが汗みどろになって活動しているのに、本人が涼しげな顔をしていたのでは、連帯どころか逆に違和感を生じさせやしないだろうか。
  「市民参加型選挙」と「お任せ選挙」とでは似ているようだが、本質は全く違う。浅野氏のために手伝おうと積極的に参加した人たちが報われるのであれば幸いだ。「祭りのあとの寂しさ・空しさ」を感じるようでは、かわいそうな気がする。
 

2007.04.02 vol.12 「新人」という意味
  今回の都知事選候補者14人の中で「特別な存在」が2人いる。石原慎太郎都知事と浅野史郎氏である。それは政党支援を受けているということではない(政党支援は吉田万三氏も受けている)。この2人だけが「知事経験者」だということだ。
  首長選挙であれ、議員選挙であれ、選挙の際、立候補者は「前」(現職)、「新」(新人)、「元」(現職以外の過去の経験者)の3つに区分される。このため石原氏は「前」となり、浅野氏は「新」に含まれる。
  だが、浅野氏は正確に言うならば「新人」とは言えないのではないか。確かに都知事候補者としては新人だが、宮城県知事としての経験があり、それも3期12年、石原氏の2期8年よりも長く務めているのだ。
  他の12人の候補者については「初心者」なために、その人柄や公約、期待度、あるいはそれまでの分野での実績などを、有権者は選択の判断材料にするしかない。しかし、石原・浅野両氏に限ってはそれに加えてそれまでの知事としての実績を加味する必要があると思われる。
  そのことからすると、浅野氏の県知事時代の実績についての資料・報道は余りにも少なすぎるような気がする。数誌の週刊誌が告示前に触れたことはあるが、それは一断面でしかない。新聞、テレビはこの点についてはほとんど取り上げていなかったようだ(告示前に浅野氏はテレビに頻繁に登場していたが、テレビは浅野氏の主張は報じたものの、県知事時代の実績については検証・言及しなかったように思われた)。
  浅野氏を支援する女性勝手連の一人は「2期やってやれないことは、3期やってもやれない」と石原氏を批判した。この言葉はそのまま浅野氏にも向けられるべきものになる。「県知事3期12年やってもやれないことは、都知事でもやれない」と。
浅野氏が県知事時代、何もやらなかったということではない。どの知事、そして石原都知事同様に、やったこと、やれなかったこと、やらなかったことがある。そして浅野氏は県知事としての実績・経験をあったからこそ、都知事に立候補したはずだ。民主党・社民党もだからこそ支援したのだ。であれば、その実績を有権者に示す必要があるのではないか。マスコミは報道する使命があるように思われる。
  このままでは浅野氏は単なる「タレント候補」の一人のように受け止められてしまうだろう。それは浅野氏の本意ではないだろうし、何より有権者に対して失礼だと思うのだ。
 

 
VOL1 責任感について VOL11 「女性勝手連」を傍聴して
VOL2 非常識な人  VOL12 「新人」という意味
VOL3 「改革派知事」の中身 VOL13 お任せ選挙
VOL4 情報公開の実態 vol.14  浅野氏の敗因
VOL5 選挙手法について vol.15  今後の進路
VOL6 福祉について  
VOL7 都政運営の基本姿勢について  
VOL8 選挙の争点について  
VOL9 参謀・田島良昭現る  
VOL10 「福祉公約」への質問  
   

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