このレポートは先の知事選を通して「政党とは何か」ということを、改めて検証してみようというものである。その本論に入る前に、大方の県民とマスコミが間違った解釈をしている点について、触れておきたい。
それは浅野知事の選挙を「脱政党」と捉えていることである。知事は脱政党でもなんでもない。知事が掲げた内容を吟味してもらえばわかるが、「特定の政党と団体から推薦は受けない」と言っているにすぎない。あくまで「特定の」ということであって、「幅広く応援してもらう」ことを拒んではいない。
同時に「推薦を受けない」と述べているだけで、「応援」は拒否していない。現に今回の知事選でも、県南のある自民党県議が応援演説したのに対し、喜んで手を握り合っている。
浅野知事が本心から脱政党を掲げ、貫く気持ちがあるなら、民主党や社民党の勝手連的な支援も含めて、あらゆる政党・団体からの推薦・応援を撥ねつけなくてはならないはずである。だが、現実にはそうはしていない。
つまり実態は「名ばかりの脱政党」であり、持ち前のパフォーマンスによる「県民受けを狙っただけの脱政党」だということである。
実際、浅野知事が「脱政党」を掲げたのは再選のときからだが、このとき知事は各政党に対して「私は歌手であり、スポットライトを浴びる立場にある。あなたがた政党はバックコーラスであり、目に見えない形で応援してほしい」と述べた経緯がある。要するに「応援してほしいけど、政党色は出さないように」という虫のいい主張である。このため主だった政党から「政党政治をバカにしたものだ」と反発を受けたものだった。
この選挙手法は今回も同じであり、これをマスコミがなぜか「脱政党」と表現している。ちなみに言えば、洋の東西を問わず、政党や団体から一切支援を受けない政治家は存在していないし、存在し得ないものである。何故なら厳密に言えば、如何に草の根選挙を展開するにしても、組織が必要であり、それは団体の範疇に属することになるからである。
また、政治とは理念がなくてはできないものであり、その理念に共鳴した者たちで組織が形づくられてこそ、多くの有権者にアピールできるし、新たな支持者を掘り起こす原動力にもなる。その結果として、政党や団体が発足することになるのである。
現に浅野知事は「政党や一切の団体の支援を受けない」と言いながら、母校の仙台二高グループや福祉団体などから選挙支援を受けている。このことからしても、言行が一致していないと言えるだろう。
ここ数年来、政党や派閥の悪い面が表面化しており、このためマスコミが「脱政党」と報道すれば、県民はそのイメージに引きずられることになる。県民が浅野知事を支持する背景には、そうした政党に対する嫌悪感からくる対軸として支持するという要素が多分にあることは否定できない。しかし、そのことと知事が掲げる「脱政党」とは次元が違うものである。
政治家は「言葉を操ることを生業にしている」者である。言葉を駆使し、その言葉に責任をもてないようでは政治家とは言えない。この点、浅野知事は巧みな言葉づかいをする人物である。マスコミはじめ県民は、それだけに「脱政党」宣言も含めて、知事の表現とその本質を見据えていく必要があると思われる。
さて、本論に入る。
今回の知事選が浅野知事の信任投票の様相を呈し、圧勝で3選を飾れた要因は、共産党を除く各政党が自らの政治理念をかなぐり捨てたことに尽きるだろう。このことは浅野知事が出馬表明した際の、各政党・会派の反応と、その後の行動のギャップからも明らかである。知事の出馬宣言に対し、各政党・会派は次のように述べていた。
「財政問題への言及がなく、これまでも県政運営について、理解できる施策がなかった」(自民党県民会議)
「情報公開の推進などは評価するが、財政再建や雇用対策での功績はあまりない。選挙への対応は所属議員の個々の判断に任せたい」(自民クラブ)
「会派として支持する。浅野県政を県民は総体的に評価している。財政状況は景気低迷など、県だけで解決できない要因がある」(みやぎニューウエーブ)
「財政問題では大幅な施策の見直しを怠った。厳しい財政状況を率直に県民に訴えてほしい。官製談合でもツケを残している」(民主フォーラム)
「財政再建準用団体に転落する可能性は、今後も残っている。福祉日本一を提唱して初当選したが、これまで見るべき実績がない」(二十一世紀クラブ・公明)
「党として改めて2期8年を検証する。情報公開を進め、県民の県政参加を活発化させた。一方で県財政の健全化策がなかった」(社民党県民会議)
「情報公開での評価は、官製談合への対応で一変した。県民は現在の暮らしを支える政策を求めているが、浅野県政にはそれが見えてこない」(共産党県議団)
みやぎニューウエーブを除いて、各政党・会派が一様に浅野県政の2期8年に対して厳しい評価をしていたのである。ところが、すでに周知のように、選挙戦直前になるや、共産党を除く各党は棄権、もしくは個々の議員の自主投票に任せるなど、トーンダウン。民主党と社民党は勝手連的に支援することを決定し、それまでの批判的スタンスから方向転換してしまった。
このことは政治で最も大事な言行一致をないがしろにしたものであり、同時に政党には政治理念など存在しないことを、自ら証明したことになるだろう。
中でも自民党は不様さを満天下にさらしただけでなく、県民の期待を完全に裏切ってしまった。自民党は浅野県政2期8年に対する県民意識調査を9月1日から実施。10月上旬の集計結果を受けて、知事選に独自候補を擁立することを決めた。それが周知の如く、候補者も立てられずに棄権・自主投票のハメになってしまった。
何故こんな結果になったのか。数人の関係者によると、以下のような経緯があったという。
10月上旬に集計された県民意識調査を受けて、自民党は知事選候補者の選定に入った。この時点で候補者として名前が挙がっていたのは、土井亨・県連幹事長、村井嘉浩・幹事長代行、菅原康平・石巻市長など数人である。そして、その後の絞り込みで、土井、村井両氏のいずれかという見方が党内の大勢を占めたが、どちらにするかという段階で、意見が二分したのである。
土井氏擁立派の理由は「何といっても幹事長であり、小泉総理誕生の一因になった宮城県連の顔だ。浅野知事に対抗できるのは、彼しかいない」というもの。