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 2007.04.03

名物キャスターへの感想
 
   「サンデープロジェクト」の田原総一朗氏と「NEWS23」の筑紫哲也氏といえば、歴代のニュースキャスターの中でも屈指の存在である。番組の看板でもあり、キャスター歴も長い。
  田原氏は「結論を急がせすぎる」との指摘もあるが、あのたたみかけるような質問の仕方は、それはそれで一つの特徴であり、短い放送時間の中ではやむを得ないのかも知れない。
  一方の筑紫氏は「番組が暗い」という意見も聞かれる。だが、あの落ち着いた語り口はニュース報道の信頼性を醸し出しているようだ。
  だが、最近の番組を見たとき、これまでと違うものを感じた。放送のスタンスが変わったというような、大きなことではない。発音・発声が以前とは違ったように思ったのだ。
  両氏ともハスキーボイスというのか、鼻に抜けるような声である。だからよけいにそうなのか、声がくぐもっていて語尾がはっきり聞き取れないのである。日頃から両氏の番組を視聴している人は意外に気がつかないかも知れない。当方の耳のせいかと思い、念のため数人の知人に聞いたところ、やはり同じように「よく聞き取れないときがある」という。
  敢えて言うまでもなく、アナウンサーやキャスターの生命線は「声」だろう。視聴者に理解してもらえなくては、どうしようもない。両氏は70歳を過ぎているが、発音が不明瞭なのは年齢のせいとは言い切れない。役者の森光子さんをはじめ、両氏より高齢にもかかわらず、しっかりした発声をしている人はいくらでもいる。
  落語家の三遊亭円楽師匠が引退した。本人の弁によると「歯の具合が悪く、声が思うように出ないから」だという。田原氏も筑紫氏も恐らく長年のキャスター勤めで喉を駆使しすぎたか、あるいは歯の噛み合わせが悪くなっているような気がする。
  看板キャスターが不在では番組が成り立たないという意見もあろうが、わかりにくい言葉で話されて番組の評価を落とすよりはいい。両氏に治療あるいは静養を勧めてはどうだろう。
   
 2007.03.18

都知事選報道に思うこと
 
   マスコミは「公器」「社会の木鐸」であり「中立・公平な報道」を任じている。だが、今回の都知事選報道を見る限り、現実にはそうなっていない。立候補者を取り上げる態度が余りにも偏っているように見受けられるからだ。
  石原慎太郎・都知事、浅野史郎、吉田万三、黒川紀章の4氏の取り上げ方を見れば、石原、浅野氏についての報道が多く、他の候補者はほんの刺身のツマ程度の扱いでしかない。殊にテレビにおける浅野氏の出演度・露出度は凄まじく、これでは浅野氏を応援していると見られても仕方がないのではないか(現にあるテレビ番組の司会者は「浅野さんに都知事になってほしい」と発言までしている)。
  政治家や政治を志す者にとって、テレビに出ることが選挙で勝つ上で有力な武器になって久しい。裏返せば、テレビに出られない政治家・候補者は名前を覚えてもらえないことになる。本来であれば、マスコミはそうしたハンディをつけるべきでなく、中立・公平な行司役としてあるべきだが、その本分をどこかに忘れたらしい。
  マスコミ各社は、浅野氏がマスコミをうまく利用していることを知っているはずだ。それなくしては浅野氏が知名度を上げる術がないことも知っている。それでいて、その手法に乗っている。
  視聴率のためなのか、商業報道主義によるものかは知らないが、偏向報道はよすべきではないか。都知事選はタレントを選ぶのではない。東京都と日本の舵取り役を選ぶものだ。マスコミが一候補者に利用されたり、特定候補者にえこひいきしたのでは、有権者の判断を誤らせることになる。
  中立・公平な報道ができないなら、「我がテレビ局、新聞はこの候補者を応援しています」と宣言すべきだ。その方が有権者も迷うことがないのではないか。
   
 2006.10.15

河北新報「県民意識調査」の笑止
 
   10月15日付の河北新報に楽天イーグルスに対する「県民意識調査」の結果が掲載されている。楽天の2年間の戦いぶりと、地域密着の取り組みを調査したものだ。調査方法は宮城県内の20歳以上の男女各250人、合計500人に電話して答えてもらったという。
 しかし、これで県民の意識がわかるだろうか、大いに疑問である。500人といえば、県人口約230万人の0.00021%でしかない。こんな少ない数の調査で県民意識というのは、余りにもひどすぎやしないか。
 河北新報は以前にも梅原克彦・仙台市長に対する県民意識調査を行なったが、これも1000人に満たない回答者だった。県民意識調査というからには、最低でも1割の回答者がいなくては値しない。調査するのは自由だが、報道機関を自認しているなら、もう少し精度の高い調査を行ない、掲載すべきだろう。
  設問も適切とは思えない。「楽天の2年間の戦いぶりをどう評価するか」という質問で「予想通り」「予想以上」「予想よりも悪い」「予想よりは悪いが成長を感じる」の項目をあげて、回答者にこの中から選択させている。しかし本当に調査すべきことは「どの点が成長し、どの点が成長していないのか」ということなはずだ。設問はこの肝心な問いが抜けている。
  河北新報が何を調査したかったのか、伝わってこない「漠然とした調査」ではなかろうか。
   
 06.07.18

高校野球報道に思うこと
 
   新聞通に言わせると「中央報道はともかく、県内報道は朝日・毎日・読売・産経・河北のどれをとっても、記事はほとんど変わらない」という。言われてみればその通りで、これはプレス報道によるものだろう。
  その画一的な紙面が7月のこの時期はさらに強くなる。高校野球の記事が満載されるからだ。夏の高校野球は朝日新聞社が主催するから(春は毎日新聞社)、朝日の紙面が高校野球の記事で埋まったとしても不思議ではない。朝日にすれば高校野球報道は営業的(新聞の拡販)にも不可欠なのだ。
  そのことからすれば、他紙はこの時期、自分たちの新聞をアピールするチャンスであるはずだ。河北を除く中央4紙の県内版紙面は1面程度しかない。その貴重ともいえる紙面で差別化・アピールができるのだ。ところが対抗紙の河北や読売・毎日・産経までが足並みを揃えて高校野球の記事を大きく載せている。7月18日付の河北新報はほぼ1面を県大会記事に割いている。新聞だけでない。各紙のホームページの見出しも高校野球の記事がトップ扱いで、それよりも重要と思われる記事は序列で言えば下に位置する。
  高校野球報道が必要ないとは言わないが、余りにも度が過ぎてはいないだろうか。というよりも、ここ数年から新聞各紙はスポーツ報道に比重をおきすぎるのではないか。それよりももっと県民に知らしめるべきテーマはたくさんあるはずだ。一般紙は総合紙を自認しており、何でもかんでも扱わなくてはならないと考えているようだが、ことスポーツに関してはスポーツ新聞があることを忘れたわけではあるまい。
  インターネットの普及で新聞を購読する人が激減している。その中で新聞はより質の高い、魅力ある紙面づくりをすることで生き残るしかない。だが、プレス報道や高校野球報道のように画一的な記事では、自分で自分の首を絞めているとしか思えない。