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| 福祉実践者というよりは本質は「政治的人間」 |
「大志をもってやりたい」と思っていた田島氏にとって、浅野知事との出会いは幸運だったに違いない。
二人が初めて出会ったのは、昭和62年10月のことである。当時、田島氏は国の障害福祉政策の遅れに対して、頻繁に上京 しては厚生省に談判していた。その応対の相手として現れたのが、1カ月前の9月に障害福祉課長になったばかりの浅野氏であった。この当時、田島氏の名前は「行動力のある福祉実践者」として、福祉関係者や厚生省内では知られていた。もちろん、浅野氏も名前だけはすでに耳にしていた。
このとき「うるさ型」の田島氏に対して、浅野氏は「役所は簡単に動かないこと。一緒にグループホームをつくろう」と いう趣旨のメモを手渡したという。
(中略)
これ以後、2人は付き合いを深め、現在に至っている。「私淑」の度合いが増していったことは言うまでもあるまい。 平成5年、この2人にとって最大の転機が訪れる。言わずと知れた知事選である。田島氏はこの選挙中から「浅野史郎政務担当秘書」の名刺を持ち歩いては、選挙参謀として活動した。田島氏が「政治的人間」として宮城県で姿を見せるのはこのときからであり、浅野知事がこの選挙で地滑り的な勝利を得たことで、 政界関係者の間で「浅野の後ろに参謀・田島あり」と囁かれたのもこのときからである。
(中略)
浅野知事にとって田島氏は誠に重宝な存在である。福祉がわかるし、政治もこなせる。知事としてやりたいことと、やらなければならないことの両方を、田島氏は兼ね備 えていることになる。
一方、このことは田島氏にとっても好都合だったはずだ。福祉をライフ ワークにしようとしている男が知事になり、福祉と県政をこなしきれないために、自分にすがってきている。「福祉実践者」としても「政治的人間」としてみても、これ以上の舞台装置はないに違いない。
(以下次号)
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