月刊パロス 7月号
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ダイジェスト
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短期集中連載
「福祉実践者」として浅野知事に請われて、長崎県から宮城県に舞い降りた男 それが田島良昭 ・県福祉事業団理事長である。だが、氏の領域は 福祉にとどまらず、むし ろ知事の参謀として県政全般に関与している。第1弾ではこれまで明らかにされなかった「田島氏の素顔」を、第2弾では 「浅野知事誕生の中での田島氏の動き」をレポートしてきた。今号の第3弾では「県政への介入の実態」について記していくことにする。

前号抜粋
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 (文頭略)
  その一つが人事である。実例を挙げてみる。
 平成6年2月3月。田島氏は「『知事に協力してくれ。然るべきポストを用意するから』と部長クラスを回って歩いた」(県庁OB)という。このアメに吸いよせられて浅野田島ラインに与した幹部は少なくない。しかも、この人事への介入は今でも行なわれている。県庁の現職課長はこう投書している。
「部長クラスの人事は必ず田島が面談(評価)の上で決定していることは既定の事実です。ほとんどの幹部はこの事実を知っているが、外部に対して黙っているだけです」このため辞令が出ると「『田島詣で』をしている幹部が今でもかなりいる」(県庁OB)と言われている。
 
 (中略)
 田島氏が如何に県の政策に介入しているか。二、三の例を挙げてみる。一つは仙台市民オンブズマンとの交渉である。平成7年3月、オンブズマンは県財政課の食糧費支出の不明朗問題(いわゆる官官接待など懇談会費用の不正な支出)で、県を提訴。その後、カラ出張問題も発覚し、県政を揺るがす事件となった。この一連のオンブズマンの追及の中で、田島氏はオンブズマン幹部と2度極秘裏に会い、交渉する。このときの模様を、後日、田島氏は記者にこう述べている。
「知事が電話で『訴えられた』と言ってきた。知事や県職員はオンブズマンに会えない。それで私は知事に頼まれたわけではないが、自主的に会った。オンブズマンが提訴しており、このまま裁判を続けていけば、最高裁までやっても確実に負ける。だから(オンブズマンと)和解して裁判を取り下げてもらうしかない。知事にもそう伝えた」
 だが、オンブズマンはこの取引に応じず提訴し、仙台地裁は食糧費公文書の全面開示の判決を言い渡した。これに対して、県は控訴を断念。結果的にオンブズマンとの交渉は何ら意味をなさなかったことになる。
 この判決に伴い、県は官官接待の相手方の名前を含めて公文書を全面的に公開したが、このうちの半数近くの2500余件が実態のない請求書だったことが判明。その中に中央官僚の名前が使われていたことから、県に抗議が集中。浅野知事はお詫び行脚に奔走した。このことが「宮城県と中央省庁の関係をギクシャクさせる発端となり、その気まずさは今でも尾を引いている」(代議士秘書)と言われる。田島氏の行為は何とも高い代償となったと言えるだろう。
 (中略)
 このほかにも、県職員の厚生施設「勾当台会館」建設の白紙撤回、財政難の中で浅野知事が強引に進めた「子ども病院」の建設など、県政の要所要所の政策及び知事の判断について「田島氏は全面的に関与している」(県庁OB)と言われている。かつての県庁首脳の一人は、その実態をこう述べるのだ。
「執行部で政策決定したことを、知事は翌日になって『あれはこう変えたい』と言うことが何度もあった。そのとき我々は感じたものだ。『田島に入れ知恵されたな』と。だって、執行部会議に加わらない者で、知事を動かせるのは田島しかいないから。知事は田島に全てを話し、それに対して田島がチェックして、それが県の政策決定として進められる。二重構造であり、田島は完全に院政を敷いているということですよ」
 (中略)
 平成11年4月、田島氏は福祉事業団の理事長に就任した。このポストはそれまで副知事や県庁OBが就いており、民間人としては田島氏が初めてである。そのため田島氏の就任についてはスンナリとはいかず、以下のような経緯があった。
 理事長改選期が差し迫ったとき、田島氏は浅野知事に「オレが理事長になる」と申し出たという。ところが、それまで民間人が登用された例がないことから、当時の両副知事(この時点で松木氏は副知事になっていない)や議会も反対した。
 これに対して、田島氏は巻き返しを図り、知事にこう談判したという。「このまま副理事長にしておくなら、オレは雲仙に帰る。それが嫌なら副知事や担当部長に(オレを理事長にするよう)根回ししろ」と。つまり、知事に揺さぶりをかけたのである。
 これを聞いた知事は青くなって動転。直ちに両副知事に「田島が怒っている。彼は私の師だ。すぐ行って詫びてこい」と言い、田島氏のもとに走らせた。このとき田島氏は両副知事にこう言い放ったという。「お前ら、浅野はオレが糸を引いて動かしているんだ。オレはなろうと思えば、副知事にもなれるんだぞ」と。
 この言葉は恫喝以外の何物でもあるまい。

 (中略)

  しかも問題なのは、田島氏の「政治指南役」としての力量が全くなく、知事及び県政を奈落の底に落としているということである。このことは前述した「オンブズマンとの交渉」「保健医療福祉中核施設の凍結」「コムスンの導入」、さらには記述しなかったが「県警の情報公開」に至るまで、全てについて歴然としている。これらの問題が議会で論議され、そのたびに県政の円滑な運営が停滞してしまったことは否定できない。同時に、県庁職員との信頼関係、県警との協調、議会との連携の全てが失われることにもなった。
 田島氏に力量があったとしても、県政に関与することは重大な問題だが、力量も何もなくて関与して、その結果、県政が立ち行かなくなるのでは何をかいわんやである。この"実績"のない田島氏を性懲りもなく重用し、その判断に浅野知事が従っているということは、知事が田島氏に大きな負い目をもっているということしか考えられまい。
 一方、田島氏は浅野知事の「政界遊泳」についても、少なからず "指示"している。平成11年の統一地方選の際、知事は「選挙の借りは選挙で返す」と宣言。事実、平成9年の知事選で支援してくれた候補者の応援に自ら出向いた。自分が行けなかったときには、夫人を駆けつけさせた。また、知事に就任して以降、首長選挙の当選祝いには、田島氏が知事の名代として出かけている。
 このことは田島氏が危機感をもっている現れと言える。前号で紹介したように、選挙について浅野知事は全くわからない。ただ神輿に乗って歩き、得意のパフォーマンスを振り巻くだけである。そのパフォーマンスが如何に軽く、知事の選挙基盤が如何に「砂上の楼閣」の上に成り立っているか。このことを田島氏がわからないはずがない。
 (中略)
 「浅野人気」が盛り上がっているうちはいいが、それがコケれば惨敗は必至である。しかも知事がコケることは、田島氏にとって自らの野望が頓挫することを意味する。そのため政党以外の自治体の首長、県議など個別に支持を取りつけておく必要がある。知事や夫人が首長や県議の選挙の応援に駆けつけたことは、今まで例がない。当選祝いに出向いたことも前代未聞と言われている。それだけ知事がというより、田島氏が必死だということである。

(以下次号次号では田島氏が画策した最大の謀略について詳述する