| パロス 2007 11月号(第21号) ダイジェスト | ||
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新連載 遺賢列伝 ※宮城県内の各分野で活躍する人物を評伝する |
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高橋長偉 宮城県議会議長/宮城県議会議員(自由民主党) 産業政策に精通する無類の人徳者 |
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林業と精密機器の会社を経営し、それまで政治に全く無縁だったが、周囲から請われて県議選に初当選したのは、平成3年50歳のとき。即、自民党県連副幹事長に抜擢され、その2年後には北方領土返還運動などの啓蒙・広報活動を担う県民運動本部副本部長に就任。併せて経済・経営に精通している手腕を買われて、当時のバブル経済崩壊による企業救済措置と冷害による県経済の建て直し策を推し進める総合経済対策委員長にも推挙された(平成5年10月〜平成7年5月)。 当選2回目には筆頭副幹事長となり、その2年後の平成9年10月には早くも幹事長に就任した。これは、この年に行なわれた知事選で自民党推薦の市川一朗候補が現職の浅野史郎知事に大敗を喫したために、自民党県連が人心一新を図ったことによるが、そればかりではない。この年の12月に衆議院宮城6区の補欠選挙が、翌年には参議院選が迫っており、県連は「選挙対策シフト」の布陣を敷く必要があったことが大きい。 県連ナンバー2の幹事長の責務はズバリ「選挙に勝つこと」。県議・市議などの各議員、支援団体、党員などと連携し選挙活動を展開していかなくてはならないが、そのためには人柄と力量が求められる。その要職に2回生県議が就任したのは、後にも先にも例がなく、まさに異例中の異例だった。 「政治経験が浅いことから固辞したが、会派の若手や仙台市議会の有志の方々から要望され、当時の中野正志県連会長からも″フレッシュな組織をつくるためには、あなたしかいない≠ニ請われて、それならと」 期待に違わず、この6区の補選で自民党は勝利したが、このとき長偉氏は従来にはない選挙手法を展開する。 「各集会には動員をかけない。中央から国会議員が応援に来ても、わざわざ人を集めて出番をつくることはしない。逆に支援団体や組織に出向いて応援してもらうようにした。言わば草の根選挙を展開したわけですが、それまでにない手法を2回生幹事長が取り仕切ったということで、中央その他からかなり批判があり、長偉氏はずいぶん苦労したと思います」(自民党関係者) この選挙戦術を理解・支援してくれたのが党本部の古賀誠・総務局長(現・選挙対策委員長)で、このときから古賀氏とのパイプが築かれた。同時に「この幹事長時代の苦労がのちのちすごく役立った」と長偉氏は振り返る。 ちなみに、この補選で当選した小野寺五典氏はその後公職選挙法違反で辞職する。そのため後継候補として長偉氏を担ぎ出す動きもあったが、「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」(人には分相応の役割がある)と述べ、6区支部長代行として周囲を束ね、小野寺氏の復活に尽力した。 幹事長退任後は県連副会長、会派内の政調会長、幹事長、会長を歴任。県議会にあっても産業経済・みやぎ国体対策・議会運営・予算特別・保健医療福祉中核施設問題対策の各委員会委員長に就任。そして今年(平成19年5月)第35代県議会議長に就任した。 実はこうした役どころの数は、同期や先輩議員に比べて意外に少ない。だが特筆すべきは、これらのポストへの就任がほとんど難しい局面下にあって要請されていることだ。幹事長や保健医療福祉中核施設問題対策特別委員長の就任はその典型である。 このことは政治家・高橋長偉の資質を如実に示している。「平時は地味でこれといった存在感がないが、ひとたび事が起こったときには俄然力量を発揮するタイプ」ということだ。事実、党内からは「困ったときの長偉さん」と囁かれてもいる。県議として後輩に当たる村井嘉浩知事はこう評している。 「長偉さんは私の1期先輩で、ずっと世話になっています。人柄も円満で腰が低く、政治家には珍しく敵が少ない人だ。企業人だったことから、経営・産業政策を肌で知っている唯一の県議だと思う。知事になってからも″ものづくりが日本を、宮城県を救うカギだ≠ニ政策の方向性についてアドバイスしていただいた」 その産業政策について長偉氏は「村井知事の富県戦略・産業振興策は的を射たものだ」と評価し、具体的な実践策を次のように語る。 「宮城県は仙台圏以外は第一次産業、特に農業が主体だ。政府は集団営農・集落営農を推し進めているが、これでは農業から離脱していかざるを得ない人たちが必ず出てくる。同時に、農業に対する将来像を国が示し得ないために展望が開けず、そのため農業離れを加速させる要因になっている。 こうした中で宮城県は産業構造を第二次産業・ものづくりに転換しようとしているが、私は『農工一体のものづくり』を再構築すべきだと思う。具体的に言えば、農水産品をものづくりの一環として食品加工に力を入れていくべきだ。これまで日本の一次産品は外国からの輸入品に攻められてきた。けれども日本の農水産品は高品質・安全であり、これが他国にない強みになっている。これからはこの特徴を武器に輸出産品にしていく必要があるし、また、それが可能になってきている。 コメをはじめ生鮮食料品の国内需要が落ち込んできて久しいが、食品加工に力を入れることで、その歯止めになる。同時に加工業を推進することで、雇用の場の確保にもなる。今がその風穴を開ける絶好の時機だと思う」 一方、宮城県の課題についても「今後仙台圏とそれ以外の地域の格差をどう解消していくかだ。そのためにも行政の立場にある県庁・市町村組織の意識改革・政策力・実行力が問われている」と説く。 もちろん、この課題は県議会にも深く関わってくる。「行財政改革が必須な中で、議会は県政運営のチェック機関とともに、政策集団としての役割が求められている。私は議長として、公平で少数会派の意見も重く受け止めながら、意見を戦わせる場にふさわしい緊張感・責任感を備えた議会運営をしていきたい」。 議長就任と同時に全国議長会副会長にも推挙された。「東北・北海道を含めた産業振興・連携を手がけていきたい。また地方分権時代に対応できる議会をつくっていかないと」。 信条は「一人は万人のために、万人は一人のために」。人徳と政策能力を備え、地味でいて存在感を醸し出す、ちょっと稀有な「調整型の政治家」である。 昭和16年生まれ、66歳。本吉郡出身。当選5回。仙台二高、東北学院大学文経学部卒。 (一部敬称略)。 |
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