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性格と才能は天与のものであることからして、褒めることはあっても、批評すべきものではあるまい。だが、為政者となれば話は別である。その性格が往々にして政治手法・政策に大きく関わってくるからだ。殊に浅野史郎知事の場合、この傾向が多分にある。持ち前のパフォーマンスにしても、その性格を抜きにしてはあり得ない。
浅野知事の才能の一つとして「話術」が挙げられる。ジョークを交えてその場を笑わせ、話を進めていくセンスは、並みのコメディアンに劣らない。しかし、この度合いが過ぎることが、知事にはままある。例えば以下に記すように(一部を抜粋する)。
・昨年10月、民主党と自由党の合併式での挨拶(式典の冒頭に女性グループによるミニコンサートが行なわれた) 「すごいですねぇ。政党の合併式とはとても思えませんね。このコンサートだけでも価値があります」(この合併により自民党と新民主党の二大政党体制ができたが、知事はそれに対する待望的意見・民主党へのエールについては一切述べなかった。)
・今年2月、アイリスオーヤマが中国の大連市に工場進出し、その功績を讃える「大山健太郎社長の大連市名誉市民賞受賞を祝う会」での挨拶 「大連市の名誉市民といっても、どれほどの名誉なのかわからないのですが」(この祝う会には大連市長、大連市の経済団体首脳などが出席しており、通訳もいた。)
・今年5月、佐藤勇・前宮城県議会議長を励ます会での挨拶 「佐藤さんは兵庫県出身で、言わばよそ者なんです」(佐藤氏は30年以上宮城県に住んでおり、この場には佐藤夫人もいた)
「茶化し」「侮辱する」知事の挨拶
浅野知事がこうした挨拶をすることは頻繁にあり、枚挙に暇がないほどである。主催者が知事を来賓として招き、挨拶をお願いする(ほとんどが祝辞である)ということは、知事として、祝辞としてふさわしい挨拶を望んでいることは言うまでもない。
ところが知事の場合、まっとうな挨拶をした試しがほとんどない。それも聴いている方がドキリとすることを平気で言う。本人はジョークと思っているのかも知れないが、ジョークにすらなっていない。「茶化している」のであり、有り体に言えば「侮辱」している。恐らく、招いた方としてもガッカリする以上に、内心は怒っているのではないか。
本来、祝辞というものは社交辞令で構わない。社交辞令を紋切り型の表現でなく、話術というオブラートに包んで称賛するところに祝辞の妙がある。また、祝辞というものは、料理に譬えれば「刺し身のツマ」「かくし味」である。主賓を如何に引き立たせるかが、祝辞を述べる者の務めである。
ところが浅野知事の場合、そうしたマナーを置き忘れている。ことさら必要とも思えない、むしろその場にふさわしくないことを述べ、無理に笑いを誘おうとしたり、度胆を抜こうとする。
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