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浅野史郎・宮城県知事は今年11月の知事選に出馬し、4選を果たす。九分九厘間違いない。その根拠は大きく二つある。
一つは外的要因で、有力な対抗馬がいないことだ。知事選は言うまでもなく宮城全県下の得票数が雌雄を決する。だが、宮城県の人口は約237万人で、そのうち仙台市が約102万人を占める。「仙台を制する者が知事選を制する」確率が極めて高いのだ。事実、浅野知事はこれまで仙台市を自らの票田とすることで3選を果たしてきた。
「高く売れる時期」を密かに窺う知事
浅野知事の行政能力については県議会・県庁内部・県警からも批判が高まっているが、全県下に浸透するまでには至っていない。ことに仙台市は政令都市の性格上、県政の影響をほとんど受けない。必定、知名度の有無が勝敗を分けることになるし、知名度で知事に匹敵する候補者がいるとは考えられない。
もう一つの根拠は、浅野知事の肚づもりだ。知事が「国政に転身する考えをもっており、そのチャンスを窺っている」(県議)ことは、今や県政界では当然視されている。知事自身もかつてパネルディスカッションの席上で「いつまでも知事でいるような恥ずかしいことはしないでくれ、と家人から言われている」と発言している。
但し、浅野知事の場合はただ単に国会議員になればいいという考えはさらさらない。年齢もすでに56歳。「人一倍権力欲、名誉欲が強い」(元県庁幹部)と言われる知事が一陣笠議員に甘んじるはずがない。「恐らく知事は国会議員になると同時に大臣あるいは副大臣ポストに就くように狙っているし、そう仕向けるだろう。そのポストは厚生労働相か、新設される可能性もある地方分権担当相あたりではないか」(県議)との見方が少なからずある。
そのためには自らを高く売る必要があり、その時期が問題になる。では、どういう場面なら高く売ることができるか。「自民党と民主党の力が拮抗するとき」(県議)ということになるだろう。知事が宮城1区の補選に出るのではとの見方があるが、それはない。補選では全国的な脚光は浴びないし、何より政権交代があり得ない。「本選に、それも無所属で出馬して(党推薦はあるかも知れないが)圧勝し、政党から三顧の礼で迎えられるようにする」(県議)のが、知事が描いている「国政転身戦略」だと思われる。つまり、知事の肚は自分が当選することによって(橋本大二郎・高知県知事など「改革派知事」数人と国政転身もあり得る)「政権交代のキャスティングボートを握る」ことだ。
では、知事の戦略通りに事が運ぶのか。断定はできないが、そううまくはいきそうにない。衆議院の解散が噂されているが、民主党の桜井充・参議院議員によれば「解散はない」という(別掲記事を参照)。仮りに解散・選挙があったとしても、一挙に政権交代になる可能性は低い。一時期ほどの「民主党待望論」は今やない。そのことは先の補選で実証されている。
浅野知事はかつて「自分が国会議員になれば、無所属では議員活動ができない。どこかの党に入ることになる」と述べている。この発言と知事の性格・大望からすれば、自民党でも民主党でもOKというスタンスでいることになる。
しかし、知事が考えているほど、政党が知事を高く評価しているとは思えない。という以上に「毛嫌いされている」のが現実だろう。知事は「三位一体改革論議」で全国知事会の中でも政府(自民党)攻撃の急先鋒である。しかも宮城県の自民党県連・自民党県民会議は「反浅野」を掲げている。自民党が知事を迎え入れるとは考えられない。
耐用年数がすぎた浅野県政
可能性があるとすれば民主党だが、ここでもハードルは高い。小沢一郎副代表との関係があるからだ。小沢氏は浅野知事の初の知事選のとき、新生党として推薦・支援した。その経緯から小沢氏は再選時も「新進党として公認したい」と知事に申し出た。ところが知事は「要らない」と一蹴。このため小沢氏は「浅野という男は不逞な奴だ」との捨てぜりふを吐いたと言われる。以来、知事と小沢氏はソリが合わないまま今に至っている。
知事が民主党入りするためには関係修復する必要がある。小沢氏は民主党内で事実上の選挙対策本部長を務めており、ことに岩手・宮城両県は氏の牙城だ。その小沢氏は「ねちっこい性格で、自分の意に従わない者は切り捨てるタイプ」(政界関係者)と言われており、知事も「人に頭を下げるのが嫌なタイプ」(県議)だ。スンナリ手を握り合えるとは思えない。
これらのことから判断すれば、知事が思い描くような舞台環境はそうそう訪れそうにない。この結果4選出馬はもちろん、行き場がないとなれば5選すらもありそうである。そして知事が国政転身の時期を睨んでいるということは、今後、知事としての業務は「片手間仕事」になりそうだ。「心ここにあらず」ということになるからだ。浅野史郎氏個人はそれでもいいだろうが、県民はそうはいかない。「国政転身のための延命知事」など、願い下げにしてもらいたいと誰しもが思うに違いない。
実際、すでに浅野県政は「耐用年数がすぎた」と言える。これまでの3期12年を振り返れば、そのことは明白だ。県民もマスコミも知事のパフォーマンスに幻惑されているが、実体を注視すれば何一つ実効がないし、評価に値するものはないと言える。
民間企業ではヒト・モノ・カネ・スピード・情報・説明責任の6つが経営の必須要素だと言われている。自治体もある意味では経営体であり、しかも県民の税金を原資として事業運営していることからすれば、私企業以上にこの要素は不可欠なものになる。
では、浅野県政はどうか。
まず、ヒト(人材活用と組織力)について検証すれば、その機能は大幅に低下している。浅野知事はこれまで3度、県職員の給与削減を行なった。そのうち2度は財政の健全化のためなことから、致し方ないと見ることもできるが、3度めは「緊急経済産業再生戦略」の事業原資というもの。社員の給与を事業資金に充てるなどということは民間企業ではしないし(すれば総スカンを食らうし、それ以前に経営者として失格である)、他の都道府県でも行なわれた試しがない。このため県職員労組は提訴した。知事が身内の県職員から訴えられるなどは前代未聞のことである。このことからしても、知事と県庁職員の信頼関係は完全に失墜しており、組織力が発揮されているとはとても言い難い。
同じことは県警との関係についても言える。県警の報償費問題は知事が口火を切り、追及姿勢を一層強めているために、今や県警と知事は完全に対立状態にある。この最たる要因は知事が県警の回答を全く信用していないことに尽きる。知事自らが(積極的に)信頼関係をぶち壊しているということである。
県債務残高は12年間で倍増
次のモノは、行政においては施策・事業ということになる。浅野知事は「福祉先進県」「緊急経済産業再生戦略」「知的障害者施設解体宣言」など、さまざまな施策を掲げ実行してきてはいる。では、それによって県民が恩恵を受けたものが何かあるだろうか。成果として見るべきものは何一つないのが現実だろう。有り体に言えば「単に派手なスローガンを掲げただけ」(県議)にすぎないのではないか。
続いてカネ。先述したように知事はさまざまな施策・事業を実施してきており、そのために当然予算を投入した。しかし、これといった実効が現れていないということは、結果的に無駄な出費だったということになる。三本木町に計画した「医療福祉中核施設」の建設事業の中止。地域医療整備が急務の中にあって、一部の患者しか受け入れず、始めから採算が合わないと見込まれていたのに強引に進め、県が赤字を補填している「県立こども病院」。「行政がやるべきものではない」と学界・経済界から反対され、費用対効果のシミュレーションもなく突き進んだ「緊急経済産業再生戦略」。これらはその典型であり、合算すれば1千億円ほどの事業投資になる。もちろん、数え上げればまだまだある。
この結果、浅野県政がスタートした平成5年の県債務残高(いわゆる借金)は約7千億円だったものが、今では倍増して1兆4千億円にも膨らんでいる。知事の経営能力が如何にないかを物語っていよう。
スピードも然りだ。テンポが速い現代では事業(行政)運営には迅速さが欠かせない。ところが知事の判断は余りにも悠長である。浅野県政のスタート時はバブル経済の崩壊が表面化していた時期である。このことからすれば、知事はそれまでの施策・事業を低成長経済下に沿ったものに修正する必要があったはずだし、しなくてはならなかった。だが、知事はそれをすることなく、そっくりそのまま進めた。わずかに「福祉先進県構想」を事業プランに上乗せしただけにすぎない。県債務残高が年を追うごとに増加したのは、事業計画を軌道修正しなかったために、そのツケがボディブローのように県財政を圧迫したことが大きく、その主因は知事の判断力のなさと迅速な対応をとらなかったことによる。
情報については、情報収集と情報提供の両面がある。
情報収集に関して言えば、県は収集能力を発揮していない。官官接待問題が浮上してからというもの、県庁職員は中央官僚との交わりを避けるようになったし、民間とのつき合いも極力控えている。この背景には知事の意向がある。このため民間企業・県民が何を考え、何を望んでいるのか把握できていない。その結果、県が打ち出す施策は机上論的なものになりがちだし、実効性の薄いものになる。先述した「緊急経済産業再生戦略」などはその典型である。民間企業・各業界がこの事業によって潤ったという話はどこからも聞こえてこない。というよりも、企業・業界・県民はこの事業そのものをほとんど知っていないし、関心ももっていない。県(知事)が一人相撲をとっているだけというのが実態だ。 一方、情報提供については「知事は情報公開制度を確立したではないか」という意見があるだろう。しかし、これは知事が進んで行なったものではない。県の食糧費問題が発覚したことに伴って、仙台市民オンブズマンが強く情報公開を要求したことから、知事は受け入れざるを得なかっただけだ。また、情報公開が時代の流れだったことから、知事がその流れに乗ったということである。
「改革」を叫ぶだけで実効は何一つなし
百歩譲って、知事が情報公開制度を確立したとしても、それは皮相的なものでしかない。なぜなら県がどのような情報をもっているかを、県は県民に知らしめていない。同様に、県庁に来なければ情報開示ができない。そのため現在、情報公開を活用しているのは、オンブズマンや報道関係者であり、それも皮肉なことに県政に不正がないかを調べるために使われているにすぎない。年間の情報開示利用数が1千件に満たないのは、如何に活用されていないか、活用しにくいかということの証左であろう。
県は行政機関であると同時にシンクタンクでもある。そのことからすれば、県が保有する情報を県内の市町村でも閲覧できるようにして、多くの県民に有効利用してもらうべきなのだ。県がそれをしていないということは、情報公開制度は形があるだけで中身(質)が伴っていないということになる。
最後の説明責任は、県民の税金を取り扱って事業を行なう行政機関では特に重要なことである。しかし浅野知事はこの義務を果たしているとは言い難い。例えば、前述した「医療福祉中核施設」は「金がない」ということで、知事は突然に事業中止を決定した。ところが中止決定と同時に「県立こども病院」の建設を打ち出した。このため「金がないのに同額ほどかかる事業をなぜするのか」と県議会から猛反発を受けたが、知事はきちんと説明しないまま強引に建設・開業させた。同じように「緊急経済産業再生戦略」に際しての県職員の給与削減も、職員労組を納得させる説明がないままに踏み切ったものだ。
さらに言えば、前述した1兆4千億円にも膨らんだ県債務残高の説明についても、知事は何一つ果していない。怠慢という以上に、これらは重大な責任問題である。
以上、こうして見れば、浅野県政が如何に何もしてこなかったかがわかるだろう。「改革」を叫ぶ知事の実像がこれであり、言葉・パフォーマンスだけで3期12年をいたずらに費消してきたにすぎない。
しかも今後、知事が4選、あるいは5選と出馬し、続投を果たした場合、この政治手法がさらに継続されることは必至である。それも、その後の行き場を睨みながらの「腰掛け的ポジション」「延命のためだけの知事」になるのだ。 県民にとってこれほどの不幸はないと言えるのではないか。
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