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 財閥系グループの横綱は、東の三菱、西の住友。 その両陣営の頂点に奇し くも宮城県出身者がいる。
大槻文平 日経連会長・三菱鉱業セメント会長(現・三菱 マテリアル)の大槻文平 は丸森町出身。石炭から石油へとエネルギーの転換期に労務を担当。15あった炭鉱を5つに縮小し、3万人の従業員を5千人に整理。ために「首斬り文平」と呼ばれたほど。
だが、身を切る思いだったのは本人自身。この逆境を得て、不屈の経営者精神を培い、それが三菱グループと財界での指導 者成らしめた。
 信条は「ハンブル・ライフ」で「質素だが、心は豊かに」の意。明治人の気骨を体現した一人だ。
 一方、住友不動産会長の安藤太郎は七ヶ宿生まれ。名家の長男として生まれたこともあって、幼安藤太郎少から人使いのコツなど、 頭領のあるべき姿を叩き込まれた。「仕事には厳しいが、面倒みのよさは抜群」とは周囲の評。かつては国土庁国土審議会会長を務め、第4次全国総合計画を策定した。 その折り「地方の過疎化が進む中で、東京への一極集中を抑え、地方に機能を分散する必要がある。東北は国土開発の適地。仙台に第2首都の官庁街をつくるべき」と進言。 この構想は未だに色褪せていないどころか、時を追って必然性が高まっている。大所高所からの分析力と先見力を物語る。
 今や化粧品業界で世界第3位の資生堂。その躍進足らしめた第一線に立 った、岩崎豊壽会長は大郷町の生まれ。元は役人だったが「美を追求することは平和に通ずる」と資生堂に転進。以後「重要なのは時代を体感するセンス」をモットーに、多くの商品開発に取り組み、その結果ブランド名 も世界に浸透させた。
 ワコールの創業者の塚本幸一が仙台市出身なことは、あまり知られてい ない。生まれてから小学塚本幸一二年まで住み、その後は 関西へ。昭和24年「これからは洋装化が進むし、女性は体形を気にするもの」と洋風の下着に着目。当時「賤業」と見られていた婦人下着業界に参入した。今やワコールの名は知らない人はいないほどに成長。起業家の先達的存在である。
 仙台市出身で県農業センター所長の末永喜三は、宮城県民にとって忘れて ならない人物の一人。古川農業試験場時代、命じられたのが稲の育種。その苦労の末に生み出されたのがササニシキ。「良質米の女王」と呼ばれるこのコメの生みの親である。「日本はコメづくりの技術で、外国に負けてはいけない。コメは日本の文化だから」という言 葉は説得力がある。
花森安治 出版界で言われる「名編集長三羽鴉」。『暮らしの手帖』の花森安治、『文藝春秋』の池島信平、そして『週刊朝日』の扇谷正造。いずれも100万部雑誌を打ち立てた編集長だが、この扇谷が涌谷町の出身。それまで20-30万部だったものを、7年間で一躍100万部 にまで伸ばし、今日の週刊誌時代の先駆者的存在となった。その秘訣は企画の面白さと視点の鋭さに尽きる。「空気に爪を立てること。社会の底流に潜む問題に爪を立てる意識がなくては、ジャーナリズムではない」とは扇谷の編集哲学。現在の「売れればよし」の週刊誌への警鐘とも言える。

(編集部注/敬称略、存命・物故は不問、肩書は全盛時のもの)


第8号
(2002.08)
6ページ
掲載記事



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