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 「人を褒めない、評価しない」県民気質に反発して、県内出身及び宮城県にゆかりのある先達の功績を短評する、このコーナー。今号は芸能の分野から。
             (編集部注/存命・物故は不問、肩書は全盛時のもの。敬称は略した)

 喜劇俳優の由利徹は石巻市出身。小学生の時、地元に来たレビューを見て役者に憧れ、19歳に家出して上京。アルバイトをしながら役者のイロハを学び、21歳の昭和17年に新宿のムーランルージュに入団した。その後、劇団が解散してからは、ストリップ劇場などでコントの芸に磨きをかける。その苦労が花開いたのが昭和31年、南利明、八波むと志と組んだ「脱線トリオ」。一躍テレビの人気者になった。
 以来、テレビ・舞台で第一線に立ち続けること半世紀。「喜劇は単なるドタバタではない。笑いの中にペーソスがなきゃ」と言うように、独特の東北訛りと、哀感を漂わせた、えも言われぬ「おかしさ」を演じさせて、右に出る者はいない。
 同じ喜劇でも「演じさせる側」にいるのは、仙台市出身の朝間義隆。渥美清と言えば「フーテンの寅」。「寅さん」と言えば山田洋次監督だが、朝間はこの「男はつらいよ」シリーズの7作目から、山田監督と脚本を共同執筆してきた。
 上智大学から松竹に入社し、その後助監督になり、山田監督に師事。脚本家として日本アカデミー賞など、幾多の賞を受賞。一方で監督もこなし、「二十四の瞳」(主演・田中裕子)、「椿姫」(主演・松坂慶子)などがある。
 昭和51年に大ヒットした「山口さんちのツトム君」。この作詩・作曲を手がけた、みなみ・らんぼうは志波姫町の出身。「らんぼう」の名はフランスの吟遊詩人・アルチュール・ランボーからとったことは、つとに知られるところ。
 築館高校から法政大学に進み、卒業後は広告代理店に勤務。傍らラジオ番組の台本も執筆。その後、都会で生きる孤独な女を表した「酔どれ女の流れ唄」で作詩・作曲家に。以後、ヒットメーカーではないが、独特な感性で「時代に残る歌」を世に送り出す。
 その作風は「人間がもつ素朴さ、やさしさ」が原点。その、みなみが宮城の方言で最も好きな言葉というのが「徒然」(「退屈」の意)というのも、この人の人生観を表している。
 日本のトップコーラスグループ。その両横綱のメンバーが、奇しくも宮城県に縁がある。
 その一つ、ダーク・ダックスは平成2年に結成40年を迎えた。そのリードテナーの愛称「マンガさん」こと、佐々木行はいわき市生まれ。だが、父が海外勤務したことから、父の実家の古川市で少年時代を過ごした。
 幼稚園の頃、賛美歌に聴き惚れ、その思いを貫き、「伝統の男声合唱団ワグネルソサエティーで歌いたい」ことから慶応義塾大学に入学。この合唱団でダーク・ダックスの3人と出会い、学生時代にグループを結成し、そのままプロに。
 これまでにヒット曲は多数。重厚なハーモニーは老若男女を問わず、多くのファンをもつ。
 このダーク・ダックスと双璧なのが、ボニー・ジャックスなことは誰しも認めるところ。こちらも結成して35年余りと息が長い。このトップテナーの西脇久夫は塩釜市出身。塩釜高校から早稲田大学に進み、ダーク・ダックス同様に3人と出会い、グループを結成した。
 ダーク・ダックスが「重厚なハーモニーと、ロシア民謡の普及に功績した」と評されるならば、ボニー・ジャックスの功績は「レパートリーの広さと、日本の歌の伝道師」と言える。軽快な「いい湯だな」から、郷愁の「ちいさい秋みつけた」に至るまで、幅広く日本の歌のよさを聴かせることができるグループは、このグループ以外にいないと言っても褒めすぎにならないだろう。


第9号
2002年末
2003新春
合併号
5ページ
掲載記事


第8号
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