2001.11
 第2号
 7P掲載









シリーズTOP
宮城県ソフトテニス連盟
国体後に早くも照準
地域活性化策とは産業振興だけにとどまるものではない。スポーツ・文化の振興もまた大きな要素であり、むしろ起爆剤になりうる。各スポーツ協会の活動を通して、地域スポーツの現状を紹介する「スポーツ・ナウ」。シリーズ2回目の今回は宮城県ソフトテニス連盟である。

 「みやぎ国体」におけるソフトテニス(軟式テニス)の宮城県の戦績は、 少年男子が4位、少年女子は2回戦で敗退、成年男子と女子はともに1回戦で敗退というものだった。この成績は宮城県のソフトテニスが、まだ発展途上にあることを物語っていよう。
 ソフトテニスの成り立ちは面白い。近代テニスは1877年(明治10年)に、コートやルールを今日のように改正したことに端を発した。日本には1860年代から1870年代にかけて、今日の近代スポーツのほとんどの種目が導入され、テニスもその一つとして紹介された。当時、ボールは稀少で破損、消耗したり紛失しても、簡単に補充ができなかった。そのため代用品としてゴムボールを使うことになり、これがソフトテニスの発祥 となった。
 つまり日本のテニスはソフトテニスから始まったものであり、その起こりは1884年(明治17年)に東京高等師範学校(のちの東京文理科大学で、その後東京教育大学になり、現在の筑波大学)で紹介されたことによる。
 宮城県に入ったのは明治25年頃で、旧制第二高等学校、宮城師範学校、仙台医学専門学校の学生がいち早く取り上げ、育成に努めた。明治30年頃には仙台市内や郡部の中等学校に庭球部が生まれることになった。
 明治45年に県内並びに東北初の大会として「宮城県中等学校庭球大会」が開かれると、その後各種大会が活発化。大正8年に「官公庁リーグ戦」が発足、同10年には「東北6県選手権大会」、同13年「北日本中等学校軟式庭球大会」が開催。並行して社会人による民間のクラブチームも相次いで結成され、ソフトテニスの愛好者も増加した。
 こうした普及に伴い、大正13年に「日本軟球協会」が設立。軌を一にするかのように同年に「宮城県軟球協会」(現在の「宮城県ソフトテニス連盟」)が発足し、現在に至っいる。
 どのスポーツに限らず、各協会・連盟の活動は、普及と選手・指導者の強化・育成が両輪になる。
 その普及の面で言えば、宮城県内のソフトテニス人口は現在約1万人。構成は中学生が最も多く6000人、次が高校生で2500人、学生・社会人が1000人、小学生が200人というもの。ただ、硬式テニスより親しみやすい割りに、普及人口はここ数年横ばい状態が続いているという。この要因としては「学生・社会人の参加意識が乏しいことと、少子化による影響」(連盟幹部)が指摘されている。
 このため連盟は関係機関と連携して普及の輪の拡大に努めている。具体的に言えば、現在ソフトテニス連盟には県内100の団体が加盟しており、これらの団体を通して振興・普及活動を進めている。
 なかでも連盟は「小学生への普及が重要と位置づけている」ことから、仙台ジュニアテニスクラブなど、ホームコートを備えているか、もしくは常時活用できる、県内各地区に点在する13のテニスクラブに、小学生の指導を依頼。普及と同時に将来に向けた選手層の拡大を図っている。
 こうした取り組みは各層においても行なわれており、中学生については中体連、高校では高体連と連携し、これらの連盟が開催する中学総体・高校総体などを通して、普及と選手強化の両面に注力している。大学もまた然りである。また、社会人については、連盟自らが主催する大会を基軸に据えて、普及活動を展開している。
 一方、選手の強化・指導者の育成の面はどうかというと、現状では普及活動以上に険しいと言えそうだ。優れた選手を育てるには、優れた指導者が欠かせない。現在、県内には日本体育協会公認のテニス指導者は84人いるという。当然のことながら、この人たちには仕事がある。このため手厚い指導がなかなかできない状況にあり、現実問題として指導者不足になっている。
 実際、小学生の場合はプレーヤーの両親が中心になって指導しているケースが多く、それ以外としては前述した地区内のテニスクラブ所属の指導者が教えている。中学・高校では学校内のクラブが主流だが、顧問の先生はテニス経験者とは限らない。そのため卒業生などOBにコーチを依頼することになるが、常時指導できるわけではない。
 こうした指導者不足の打開策として連盟は「就職する場を提供できるように、関係機関にこれまで以上に積極的に働きかけていく必要があるだろう」と語る。実際、これまでも連盟は関係機関に対して、雇用の場の協力をお願いしてきた。ところが宮城県の場合、企業でクラブチームを有するところが少なく、受け入れ態勢も整っていない。市役所や県庁にもスポーツ選手や指導者のための特別な受け入れ制度は設けられていないし、登用試験も難しいようで、今のところ採用されるまでに至っていないという。
 このため若い人材が台頭できる場がなく、この点はソフトテニスだけでなく、各スポーツ団体に共通する悩みとなっている。
 また、施設面にしても、仙台市内にはまとまったテニスコートがあるものの、郡部ではコート数が少ない。このことも普及と全体のレベルアップを阻む要因になっている。
 一方、連盟に対する県の強化費は、みやぎ国体開催の昨年度が最高で1200万円。財政危機もあって今年度は800万円と大幅に削減され、来年度からはさらに減額される見込みだという。潤沢な資金とは言えず、選手や連盟役員は自己負担・手弁当を余儀なくされている。このこともソフトテニスだけにとどまることではなく、戦績を抜きにして各スポーツ団体の選手・関係者の努力は評価されるものだろう。
 とはいえ関係者にすれば「評価されるのは国体の成績しかない」と言い、早くも次に向けて始動している。「ソフトテニスはかつて第52回国体と第54回国体で、少年男子が優勝している。少年男子は国内でもトップレベルにあり、この選手たちが将来は成年男子として活躍してくれるという期待がもてる。少年女子がややレベルが低下していることから、今後は女子の強化をしていきたい」という。
 同様に、今回国体を地元で開催したことから、大きな大会の運営についても自信をつけたことも確か。「全日本学生大会(インカレ)はじめ、中学総体、ねんりんピック、 スポーツレクリェーション祭の国内の大きな大会と、国際大会を宮城県はまだ開催していない。これらを一つずつ開催していきたいし、それによってソフトテニスや県内スポーツの起爆剤にしていきたい」と意欲をのぞかせている。
 このやる気があれば、今後の戦績はさらなる上昇が期待できそうである。
 
シリーズTOP
  
  
 
HOME