ハンドボールはバスケットボールと似て非なる競技である。何よりの違いはコートがサイドライン(縦)40m×ゴールライン(横)20mとバスケットよりもはるかに広いこと。サッカーのようにゴールキーパーがおり、攻撃側はそれをかわして高さ2m×幅3mのゴールをめがけ、シュートする点にある。7人制で選手交替は5人まで、いつでも何回もできること、ボールを持って3歩まで歩けることなども、バスケットと違うところだ。
選手は広いコートを走り回れるスタミナと瞬発力が伴った走力、シュートやボールをキャッチする際の跳躍力、さらにはボールを投げる力や、ある程度の接触プレーも許されることから、それに耐えられるだけの頑健な体力など、オールラウンドな身体能力が求められる。
肉体の激しいぶつかり合いや、攻撃と防御の切り替えの速さ、カーブやシュート、スピンをかけてのジャンプシュートや倒れ込みながらのシュートなど、プレーはある意味でサッカー以上に激しく、迫力に満ちており、ヨーロッパではサッカーに次いで盛んな競技である。現在、国際ハンドボール連盟に加盟している国は146カ国で、競技人口は1千万人を数える。
近年は韓国、中国が世界のトップクラスに台頭するなど、今や洋の東西を問わず普及しているスポーツの一つである。
ハンドボール的な競技は古代ギリシャ時代からあったとされるが、公式には1897年にデンマークで発祥したと位置づけられている。日本では1922年(大正11年)に東京高等師範学校で体育の教材に採用されたのが始まり。スポーツ競技として正式に確立されたのは、1938年(昭和13年)に日本ハンドボール協会が設立されてからである。
宮城県ハンドボール協会が設立されたのは昭和23年のことで、以後、同協会が東北地域での普及の主導的役割を果たしていく。当時はハンドボールという競技を知る人もほとんどなく、東京の大学時代に学んだ教員が、宮城県内のそれぞれの学校にクラブを創設して普及に尽力。また、これら教師の転任に伴い、東北他県でも普及することになったのである。
その後、全国的な普及と技術の向上、選手層の拡大のために、高校、大学、実業団単位の各種全国大会や国体が開催されていくが、宮城県は全国でもハイレベルのハンドボール県に成長している。
例えば、涌谷高校は昭和53年に開催された第1回高校選抜大会で全国制覇するなど、各大会で常に上位を占める常連校として鳴らしている。また、優秀な選手も多く、オリンピックの日本代表選手や世界学生選手権、全日本高校選抜などにも、宮城県出身者が多数出場している。
現在、県内のハンドボールチーム数は、一般から高校までの男女チームを合わせて68チーム。昨年の宮城国体では少年女子を除いてベスト8に揃って進出し、「ハンドボール宮城」の代名詞は健在である。特に国体で敗れたとはいえ、高校女子の聖和学園、古川商業は全国レベルを誇る。また、高校男子、大学も各校の切磋琢磨により、国内で上位をうかがえる位置にある。
このためハンドボール協会では「一大イベントだった地元国体を終えたことで、その後にレベルが下がるようでは何にもならない。この国体を契機にさらなる向上に努めたい」(千田文彦理事長)と今後の抱負を述べる。
もっとも、課題がないわけではない。その一つが選手層の薄さ。これほど面白いスポーツなのに、日本ではハンドボールはマイナースポーツと思われ、親しもうとする人が少ない。加えて近年の少子化に伴い、他のスポーツ同様に競技人口が減少しつつある。このため協会は「如何にハンドボール人口を増やすかが今後の課題。岩手や秋田、福島では小学校から少年団チームがあるが、宮城ではそこまではまだ難しい。当面は中学校の普及に努めたい」(千田氏)という。
また、この競技人口の拡大に関して言えば、現在、県内でハンドボールが普及しているのは仙台市、古川市と名取市北地域に限られており、普及していない地域の方がはるかに多い。「今後はこうした空白地域をなくしていきたい」と協会が考えるのも頷けるところだ。
来年2月に大和町で日本リーグの湧永製薬−トヨタ車体戦が開催される。
日本の最高峰に位置するチームの試合が東北で行なわれるのは極めて珍しい。協会並びにハンドボール愛好者の尽力で実現したもので、協会は「このイベントを普及・浸透の起爆剤にしたい」構えだ。
課題の第2点は指導者の確保である。選手層の薄さもさることながら、ハンドボールの場合、指導者も極めて少なく、現状では学校の先生がほとんどである。このため指導している先生が転任してしまうケースも多く、そうなるとクラブ活動として維持できなくなる。国体で参集した先生が今後は異動することが多いことから、この点についても協会は頭を悩ませている。
また一方では、施設面の乏しさも指摘されている。冒頭で触れたように、ハンドボールのコートはバスケットボールより広い。ところが現在県内にある施設では、グランディ21と大和町総合体育館を除いて、競技に適した広さになっていないのが現状である。受け入れる設備がなくては、普及も難しい。協会独自の財源では設備強化は困難であり、県もそこまでフォローできるゆとりはない。協会ではこうした問題も踏まえて「今後はこれまでの学校中心から、もっと輪を広げた地域密着型の運営体制にしていくことが問われている」と語っている。
もっとも、裏返してみれば、こうした課題を抱えながらも、これまで全国レベルに躍進させてきた協会並びに各指導者、選手の奮闘ぶりは特筆に値しよう。
野球、サッカー、陸上など、花形スポーツばかりに人々の目が注がれ、報道されるが、「宮城県ならではのスポーツ」というものも「地方の時代」が叫ばれている今日は必要になろう。それが独自のスポーツ文化を築き、さらには地域の活性化の起爆剤にもなり得る。
宮城県のハンドボールはその歴史と実績からして、それができそうな競技と言えそうである。将来、ハンドボールの空白地域がなくなったとき、このスポーツがどういう姿で県内各地に普及・浸透しているか。想像するに楽しみである。