|
父親の仕事の関係で名古屋に生まれ、人生の大半を東京で暮らした私だが、「お故郷は?」と聞かれると、常に「盛岡です」と迷わず答えてきた。住んだことはなかったが、盛岡には父祖の地であるという尊敬があり、背景としての東北に対する憧れと誇りがあった。だから、県立大学の創設について宮城県知事からの協力依頼を受けた時には、進んで受諾した。「東北の都」仙台を擁する宮城県は東北の支柱と信じていたし、個人的に言えば、仙台は敬愛した父親が、旧制二高生として青春時代を過ごした地だったからだ。
創設まで4年間、創設後は初代学長として4年間、合計8年間宮城および仙台と深くかかわってみての感想は、一言で言えば「故郷は遠くに在りて想うもの」だ。私のように「仙台は東北の都」だと考える仙台市民も、また「宮城は東北の支柱」だと考える宮城県民もほとんどいないという現実を思い知らされた。市民や県民だけでない。政・官界の指導者も産・学界の指導者も、そのような認識と自負をもって職に従事する人は極めて少ないはずだ。かといって、「仙台は仙台」、「宮城は宮城」という割り切った上で、仙台市ないし宮城県の明るい未来を開く自信や見通しを語る指導者もあまり見当たらない。
宮城大学長在任中、私は宮城県内のみならず、東北各地にさかんに足を伸ばし、自然や都市を観察し、物産に接し、人々と会話を交わした。その結果、人々が一番東北を意識し、生活環境の佇まいが東北らしさを保っているのは青森、岩手、秋田のいわゆる北東北3県だと確信するにいたった。
とくに3県の知事が結束して指導力を発揮しようと努力しているから、産も官もそして学までが北東北の未来とのかかわりにおいて各県各地の未来の在り方を真剣に考えようとする態度には感銘を受けた。対照的だったのは福島県で、ここで初めて聞いた「北関東4県」という言葉が象徴しているように、多くの人々の心はもはや事実上経済的にも社会的にも「東北離れ」していると言っても過言ではないであろう。
となると、残るは山形県と宮城県だけだが、県境と(県都)市境を接しているにしては、気候・気象や地理・地勢条件から、経済・産業や政治・行政上の基盤、歴史や県民性にいたるまで両県には驚くほど類似性がない。
しかも客観的に見て、総じて恵まれているのは、誰からみても宮城県である。にもかかわらず、宮城県の人々には山形県の人々に対する親近感も配慮もない。もちろん意識してのことではない。恵まれている者のもつ自然の無頓着さから、官民とも山形県の人々に良かれと思われる政策や施策を進んでやろうとはしてこなかっただけだ。したがって、山形県はやがて広域的には一方では新潟県と、また他方では北東北3県と歩調を合わせて自らの発展を図ることになろう。
そう言えば、県立大学との関係で宮城県を意識することになった8年半、私は知事を含めこの県の指導層の人々から、宮城県の望ましい将来像とかヴィジョンを伺った記憶がほとんどない。当地のマスコミが大きく伝えるのは、ことごとくといっていいほど、過去の忌まわしい出来事にかかわる暗い話題で、未来の到来を期待させるような話題は絶えて久しい。各種経済指標を総合的に判断すると、わが国における宮城県の最近の基盤沈下は著しい。宮城県と仙台市は「いま、そこに迫った危機」に対し、政・官・産・学一体となった現実的対策の体制づくりを行い、一日も早くそれを実施に移さねばならない。
|