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早いもので司馬遼太郎さんが亡くなられてから、間もなく満6年が経ちます。忌日の2月12日は氏の愛した菜の花にに
ちなみ「菜の花忌」として俳句の季語として定着しつつあるそうです。 司馬さんを記念して昨年11月1日、司馬遼太郎記念館が東大阪市に造られました。実は、東大阪市は私の故郷であり、
アイリスオーヤマの前身大山ブロー工業が創業した故地でもあります。 しかも、私の学んだ大阪府立布施高校は司馬さんが長年住まい、且つ今般自宅(現在は夫人の福田みどりさんが住む)
の一画に建設され記念館と目と鼻の先に位置しています。 私は高校時代は卓球部で汗を流しておりました。 私の弟で当社の専務の富生も同じ高校でテニス部に所属しておりました。そのテニスコートから司馬記念館までは小道を
一つはさんで隣りの約40mの近さにあります。 当社が大連に進出し旅順を訪ねる機会が増え、氏の代表作の一つである『坂の上の雲』を読み返し、改めて知の巨人と
しての司馬さんの作家としての偉大さを再確認いたしました。同時に明治の青年達の志の高さと熱気の高さに深くうたれ もしたものです。 司馬さんが亡くなられてから約6年の間、司馬さんに係わる出版物、ビデオテープ、講演録のカセットテープなどが切
れ目なく売れ続けています。それだけ世の中にもとめる人が多いからです。 氏が単に歴史小説家ではなく、いかなる特定の思想にかたよらず、膨大な資料と現地取材で高い視点から歴史を見直し
、歴史を旋回させた人間に光を当て、読む人に限りなく勇気を与えるからなのでしょう。 多くの有名、無名の方々が氏の作品で志を立て、その志の実現を目指して努力しています。勿論、私も勇気づけられた
一人と自認しています。氏の高い視点の証しは枚挙にいとまがない程ですが、グローバルな眼で物事を見たその作品群が 雄弁に物語っています。 それに「アジアの視点」という座標軸をとても大切にしました。
今、何かと政治問題化する、日中、日韓などアジア近隣諸国間での相互理解を促進させるためにも司馬さんの視線を参 考にしてゆけば、そこに解決の糸口がたくさんあるように思います。
司馬さんはバブル崩壊後の日本人の精神の荒廃をとても心配し日本の行く末を懸念し、その原因と対応策を世に問うて おりました。今般の司馬遼太郎記念館の完成は暗い今の時代を吹き飛ばすべく、日本人に勇気と希望を与えた作家として
の第三次の司馬ブームの起こる可能性があります。 当社の社員の一人はすでに記念館を訪ね感動を新たにしたと語っています。私も帰省の折に是非訪ねたいと思っていま
す。 場所は大阪JR難波駅から近鉄奈良線に乗って「八戸の里駅」下車、徒歩8分と書いてあります。大阪の中心から約30 分でゆける手軽さもあります。
多くの方々に訪ねて頂きたいと思っています。私もその場の中で司馬さんのいつも持っていたといわれるグローバルな視 線について考えてみたいと思っています。
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